結果を出す手技療法のパイオニア

村上宥快和尚さんの教え ウソのつけない自分の心を信じることが大切

太陽は罪人へも善人へも同じように降り注ぎます。分け隔てはありません。あなたが悩みの渦中にあれば、自分の損得を抜いたウソのつけない心に答えが必ずあります。

宥快和尚さんは、総ての人に当てはまることが正しい基準ですと説かれました。

心とは太陽のように、貧しい人にも富める人にも、わけへだてしない公平無私の意識である。エネルギーである。信心はその己の心を信ずることである。
引用:天使の再来、高橋信次著

安心が経済・物質・地位によって得られるものと考えていましたが、それで得たものは本物ではありません。いつしか失うまいと躍起になり、人を蹴落としてもという考えが出てきます。

その意識があればあるほど心の中は不調和となり、やがては魔に魅入られるのです。魔とは、人の幸せを喜べない、人の不幸をあざ笑う心です。

引用:村上宥快和尚さん説法「観心」

市民時報の原稿

小生(村坂)の、高山市民時報投稿記事(2005年平成17年)を書き直しました。

還暦を数年過ぎた心境の変化は、見えないくらい遠いところにあった『死』が、身近に感じるようになることです。本当にびっくりします。

干支も一周回ると考え方も少し変わりますが、持って生まれた性格は中々変わりませんから、八正道を行じて心を磨かなければと日々思います。

若い時に、和尚さんに縁を繋いでくれた人たちも鬼籍に入られ、時代の流れを感じます。

葬式の段取りが分かった頃に自分の順番が来ると年寄りが言われていましたが、本当だなと思います。

耳順じじゅんを過ぎて

あっと言う間に、60歳を過ぎました。髪は真っ白になり老眼も年々酷くなっています。光陰矢のごとしとは本当の事と実感するこの頃です。

心の師と仰ぐ、故村上宥快和尚さんに出会ったのは二十代後半でした。

和尚さんは心の在り方こそが大事であり、物や金は人生を生きて行くための道具でしかないと説かれました。

心は一念三千と言い常に揺れ動くものなので、思いや行いの安定こそが生活での安らぎ、安心立命につながると説かれました。

和尚さんの教えである、この世で安らぎを得る方法は、唯一、四諦八正道を行ずるという簡明な答えでした。いざ実践してみると簡単に見えてこれほど難しい教えはないのです。

正しく見る、正しく思う、正しく語る、正しく仕事をする、正しく生活をする、正しく精進する、正しく念ずる、正しく定に入る、八つの教えです。

この正しくということが、人それぞれに立場や育ちや習慣の違いで分かれると思われますが、答えは唯一無二で、太陽のように偏りのない心、ウソのつけない自分自身の心が正しい尺度なのですと説かれました。

太陽の光は、善人や悪人の区別無く分け隔て無く降り注いで来ます。これが神の意志であると説かれました。

キリスト・モーセ・ブッタという偉大な指導者は難しいことを衆生に説いていないと思いますし、当時の無学文盲の人々でも行える法を説いたと容易に想像がつきます。

現代文明は進化しましたが、肝心な思いや行いは当時の人々より進化したのでしょうか。

世相を見ると、出口の見えない不景気、人間関係は希薄となり、殺人事件が日常紙面を飾り、地域的な天変地異も起きています。人類への警鐘としか思えません。

人間しか思い行える存在は地球上には存在しないのだから、責任は重大です。

自分の治療の腕を棚に上げてですが、同じ症状の患者さんでも改善する早さに違いが出ます。愚痴の多い人の治りは遅いし、心がけの良い人は治りが速いのは事実です。

アラビア太郎こと山下太郎氏(アラビア石油創業者)が「死に顔が良くありたい」と記者会見で言われています。

誰もが人生の終焉をそう願いますが、苦しいときの神頼みでは遅いと、死に顔の良し悪しも、普段の思いや行いの結果なんですよと和尚さんは説かれました。

還暦を過ぎても、孔子が説かれた「六十にして耳順みみしたがう」の思いにはなれませんが、日々の思いや行いを少しでも正して、迷いを少しでも減らして、安らぎのある生活を送れるようになりたいです。

八正道の理解と具現

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村坂 克之

小又接骨院・鍼灸院の院長です。柔道整復師、鍼灸師の国家資格にて施術を行っています。屋号の小又(こまた)は、先祖の小谷屋亦治郎(亦=又)に由来します。親指シフトユーザー。
詳しくは院長略歴をご覧下さい。