結果を出す手技療法のパイオニア

村上宥快和尚さん

村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。

和尚さんと私

和尚さんに、心の在り方や人生の生き方を教えて頂きました。

私は当時、来院患者さんがさほどだったのが、正法を勉強し始めてしばらくしたら毎日100名位に増えて、これもご利益(りやく)だ、きっと誉めてくれるはずと思い、ドヤ顔で和尚さんに話しました。

そうしたら、いつも笑顔の和尚さんが、珍しく語気を強めて言われました。

「悪い体を触るのですから、そんなに治療してはいけません。多くても1日40.50名までにしなさい!」と言われました。

その時は、「和尚さん、ありがとうございます」と言ったものの、心の中では〝この坊さん何を言っているんだ、現世利益(げんせりやく)はだめなの?このクソ坊主!〟と思ったのです。

その後も多忙を極め、半年後に微熱と咳が止まらなくなりコデイン入りの咳止めで誤魔化していたら、血痰が出てきて洗面所で吐きながら治療していましたが、観念して近医を受診したら即入院となりました。

重い肺炎で、レントゲンは両肺が全部真っ白、今でも鮮明に記憶しています。(正常では黒く映りますが炎症があると白く映ります)

仕事の段取りが気がかりでしたが、これでようやく休めるとベッドの中で安堵したのは事実でした。

入院も含めて1ヶ月休診し、徐々に体調を慣らし3ヶ月後に完全復帰しましたが、肺炎の後遺症である夕方の微熱にしばらく苦しみました。

この体験を経て、人々を治す治療を目指すと自分自身に誓い、和尚さんのお話を真剣に聞くようになりました。

とかく人間は、痛い目に合わないと素直にならないので、本当に現金なものです。

あのまま仕事していたら、お金は残せても過労で再び倒れていたと思います。私は不平不満一杯の気持ちで仕事をしていましたから、病気になるのも当然だったのでしょう。

利益を追求することを止めて、茨の道でも治す治療を目指し、還暦を経てようやく納得する結果が出せるようになりました。院長略歴の『治療法の変遷』をご覧下さい。

あのとき病気をしたから、今の自分があると本当に感謝しています。

和尚さんが言われていた『有志者事竟成|志ある者は事ついに成る』は本当なんだと感じています。

和尚さんは常々、「頑張ってはダメです、平生往生(へいぜいおうじょう)ですよ」と言われていました。

この意味する事は、頑張っているのは思いや行いが身に付いていなく心が至(いた)らない証(あかし)しなので、平生(へいぜい=普通)に行えるように忍耐精進(にんたいしょうじん)することなのです。

旧高山市で行われていた月例会の中で、聴講者の質問へのお答えは、「心を丸くしなさい、そうすれば必ず乗り切れますよ」と、いつも言われていました。

一体、この心を丸くするということ、心の角(かど)とはどのようなものなのでしょうか?

それは、嫉(ねた)み、嫉(そね)み、恨(うら)み、誹(そし)る、愚痴(ぐち)を言う、腹を立てる、頭へ来る、取り越し苦労、これが我々の心の角(かど)なのです。

張り紙とかに「気を長ーく、腹を立てずに横にして、心をまーるくまん丸に」と書いてありますが、それを見ても唱えても、それは絵に描いた餅なのです。心は満たされないのです。

心を丸くするには、正法(しょうほう)に基づいた八正道(はっしょうどう)を行じてゆくことです。それは嘘のつけない自分自身の心にアタックすることなのです。

人には嘘をつけても、己の心に嘘のつけない自分自身の心が神の入口なのです。

村上宥快和尚さん説法【八正道の理解と具現】中道の道(第1回/全11回)

私たちは生まれたままの条件では汚れきっているのです。

大人になり、いくら外面(そとづら)を良くしても、内面(ないめん)は煩悩(ぼんのう)山盛りのポンコツで使い物にならないので、その境地(ちょうち)に少しでも近づくためには努力と勇気が必要です。

それは今までの生活からは最初は苦痛かもしれません。

外面(そとづら)と内面(ないめん)を善なる方向へ持ってゆくのです。表(建前=たてまえ)と裏(本音=ほんね)が違ってはダメなのです。

地上界では肉体という隠れ蓑(かくれみの)があり、心において一度犯したことを、再び犯さないと自分の心を通して奥底の神の心にお詫びすることで、他人にバレず自分自身でちゃんと修正ができるようになっています。

これが本来の懺悔(ざんげ=さんげ)、すなわち反省禅定(はんせいぜんじょう)なのです。

このことが分からないと、宗教の本質を理解していないことになります。

過(あやま)ち多きがゆえの人間ですし、過(あやま)ちなき人が世の中にいるでしょうか、と和尚さんは説かれました。

現代世相は、「講談師(こうだんし)見てきたような嘘を言い」のように、体験に基づかない頭でっかちの指導者ばかりで、ますます世の中が混迷していると説かれました。

地震は大地のプレートが歪んで起きるのでは無く、あの世が不調和な地上界へ警告で起こすと説かれました。

どんなに大きな組織でも、その長たった1人の思いや行いが悪いと、組織に不祥事や事故が起きると説かれました。上に立つ人間の役目は重いです。部下が下請けが悪いと言い逃れても、あの世からは全てお見通しなのです。

悪巧(わるだくみ)みや男女の関係も絶対バレないと思ってやりますが必ずバレます。天知る地知る我が知るのように、神と通じている本人が知っていますから、隠してもちゃんとあの世がつまびらかにしますからと説かれました。その結果、こんな割の合わないことはしないと私たちは体得するのです。

天知る地知る我知る人知るとは – コトバンク

医者を始めとする医療に携(たずさ)わる人々は、一般の人々以上に心と行いを正さないと良い治療ができないと説かれました。緒方洪庵(おがたこうあん)の扶氏医戒之略(ふしいかいのりゃく)の第一番は医療人心得の本質です。

適塾「扶氏医戒之略」、緒方洪庵の話をされていた村上宥快和尚さん 

『生老病死(しょうろうびょうし)』(人間として避けられない四つの苦しみ)という言葉があります。

老病死(ろうびょうし)だけがとかく話題になり、病気や災難からどうしたら逃れられるかを説く御仁(ごじん)は数々おられますが、老いて死ぬことが人生の終わりではありません。

和尚さんは、『人はなぜ生まれて来るのか』『魂は死ぬことが無い』『人間の使命と目的』『男女の役割』を生涯を通して説かれました。

立場・性別・職業に関係無く、心がけや思いが全てに通じるとは本当に驚き、今でも過去の法話を見返して日常生活に役立ています。

記事を読まれる皆さんの、人生への迷いが少しでも解消されることを願ってやみません。

村上宥快和尚さんの説法

村上宥快和尚さんに関する記事は下記リンク先をご覧下さい。

“村上宥快” の検索結果 – 村上宥快和尚さんの説法

疑問の検索の仕方

下の検索窓か、小又接骨院ホームページの検索窓で検索して下さい。

「村上宥快」+「質問の言葉」で検索できます。但し完全一致なので、嫉妬は妬みや嫉みに、仕事は働く、男女は女性や男性、に書き換えて頂くと検索できる場合があります。

下記に代表的な検索結果を掲載しておきます。

資料(印刷配布予定)

八正道は本来心でするものですが、知らない場合は道理を理解することが先になります。

下記資料を熟読され、日々の生活に生かし、疑問が生じたらこのブログを検索してみて下さい。答えが必ずあるはずです。

電子機器の普及で、知識や学問で悟ろうとする昨今の風潮ですが、残念ながらそこには答えはありません。頭や知識だけでは心は豊かになりません。学問の心理学や理屈だけの人生では、心の渇望は癒やされないのです。

いわゆる末法とは、自分さえ良ければいいと言う考えの心を見失った条件です。それが現代の世相です。

その中で心を磨くのは厳しく苦しい思いもされると思いますが、あの世が必ずその人をバックアップすると宥快和尚さんも言われていましたので、今生の安らぎを得るために共に精進しましょう。

苦労(艱難=かんなん)を乗り越えなければ、彼岸である安心の境地を会得できません。

艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす)とは – コトバンク

八正道の理解と具現、正法の要、座禅の概要は、印刷できるよう準備中です。しばらくお待ち下さい。