村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
【正しく道に精進する】正進(しょうじん)
正進の目的は人間関係の調和にあります。
一貫する柱は何かというと、それは他を生かし助け合う愛の心であります。
愛こそ調和の姿であり、この地上の光なのであります。この地上は男女の両性から成り立っています。
一方が増えても困るし減っても困るのです。男だけでも女だけでも人間社会は成り立ちません。
こういう事があると一方通行のものの考え方で、女性だけ集めて女性の議員だけ集めて前へ進めとやっているのですから、ああゆう事を考えるとやはり調和であるか不調和であるかという事は、皆さんがおわかりになることと思います。
もし一方だけが存在し一方が存在しないとすれば、人間社会は百年も待たず絶滅してしまいます。
これではこの地上界に仏国土もユートピアも出来ません。
男女の両性があって始めて社会生活、それはまず家庭から生まれます。
子孫を育てる事が出来ます。人類の永遠の生活はこうした男女の両性の存在によって可能であり、調和ある仏国土も完成されてくるのであり、男女の両性にはそれぞれの特性と役割があり、それが助け合う事によって調和されます。
色心不二の中道の精神はここでも生きています。
現象界は天地に分かれて始めて空間が生まれ立体となり、立体の生きる場が作られます。
ですから現在、男女の平等という事をちょっと勘違いしている人達が多いのです。
男女同権という事は、女性は女性の務めをし、男性は男性の務めをしてそれをお互いに持ち寄って生活をしていく事が平等なのです。
ある時私共のところに「男と女はどう違うのだ」なんて食いついてきた人があるのです。
そしたら私は一言のもとに「付いているものが違うでしょう」これで終ったのですよね。
地球は南極北極に分かれ、地球の自転公転を正しく回転させ、地上の生活を育てています。人間の生活も男女の両性があって人間社会が永遠に続きます。
中道・愛・慈悲という言葉の意味をよく考えて下さい。
そうしてこうした言葉は現実的に生きてくるので、常に複数という関係の中に於いてこれらの言葉は単独では決して成り立つものではありません。
これらの正しい道に精進するとは、私たちが複数という社会の中で他を生かし助け合っていく事によって始めてその意義が生まれる、本来の目的にかなって来る訳なのです。
1989年(平成元年)10月「心のつどい」東京研修会より
編集:飛騨高山心のつどい