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村上宥快和尚さん説法【八正道の理解と具現】正しく仕事をする(第5回/全11回)

村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。

【正しく仕事をする】正業(しょうぎょう)

次に正しく仕事をする。

地上界のあらゆる生物は働くように仕組まれています。動物も植物も、そうして鉱物さえもこの地上界の生きとし生ける者にその体を提供しています。

人間の場合もその点は老若男女を問いません。幼児は乳を飲み眠る事が務めであります。それによってやがて成人し、世代、時代を背負う大事な働き手となるのであります。

学生は学校で学問を学び、社会人は社会の為に働きます。

主婦は家庭に於いて生活を守り、夫の仕事を円滑にしていくように安らぎの場を与えるものなのです。こういう事は、必然的に正しく仕事をするという条件の中にあるのです。

現在はお母さん方をみな表に引っ張り出します。これがイデオロギー的な物の考え方であって、心の考え方ではないのであります。

やはりお母さんは家の中に安定感を提供するものです。

安らぎという字は、このウ冠は家でございます。家の中にお母さんが居る事が安らぎ。この安らぎが無いという事は、やはり現在お母さん方が表に出る事が働くと思っていることなのです。

あれは働くじゃないのです、蠢(うごめ)いているのです。こういう勘違いをしているのですね。

動くという事は、人間が働くという字は動くと書くのです。

これを考えてみてもこれとこれでは雲泥の相違です。やはり家の中に現代は女性がどっしり座ってないと中心が揺らぐのです。

女性の力というものはこういう力があるのですよ。

そして最もここに働くものは慈悲と愛なのです。

慈悲と愛の心をそっちのけにして今の世の中というものは働け働けだなんて、これは一番悪いイデオロギーなのです。

思想というものは何かそういう男性の働く馬車馬のやる事を見て働くと思っているのです。

女性の働きはそういう働きではないのです。どっしりと安定をさせる安らぎの働きなのです。

男性の働きは、これは持って来いというやつなのです。持って来いという事は衣食住を持って来いという事なのです。

衣食住を持って来ればこんなにアクセクしなくてもいいのです。

この頃どうも男性は意気地が無くなって、働きが悪くなっているようでございますが、本当はこういう働きこそが男性なのです。

女性の働きは安定感というもの、慈悲と愛の偉大なる想念と行為なのです。

夫婦は家庭にあって子供を守り、夫の仕事を円滑にしていくことなのです。

この頃は何だかおかしな事を言っており、子供も男が育てろと言っています。何て言ったかねあの人の名前は。我々子供の頃は女の方を女中と言い男の人は男中と言ったのです。

今の条件でいうと男と女の区別が、男が出産をさせたり、子供の産湯を使ったりして、私もまあやっておりましたが、今、何故子供の安定感が無いかというと、お母さんの慈悲や愛というものが不足しているのです。

それが現代の最も悪いところなのです。

ところがそれをいいと思ってやっている人達がいわゆる思想家なのです。平等だから同じ事をやっていればいいのだと。

しかし現代の子供達に安定感や何かが無いという事は、この慈悲と愛という柔らかい心が無いのです。

この女性が求めるものは慈悲と愛という心を子供に与えてあげることなのです。

これこそが本当のお母さんの働きなのです。

その事が無いから子供が情緒不安定になったり、登校拒否や何かをやらかすのは、こういうところに原因があるのです。

この事を女性は大いに考えていただかなくちゃ困る事なのです。

安らぎの「安」の字はウ冠に女と書きます。ウ冠はもともと家のウ冠から来ております。そのウ冠に女が加わると安、つまりその周囲は安らぎとなるのです。

安の説明

男は田と力を合わせて男となります。男は外に出て田畑で仕事に勢を出すのです。

男の説明

女は家庭にあって安らぎの場を提供します。これを持ち寄って初めてこの安定感や調和というものがあるのです。

男性が女性に美を求めるのは、美は安らぎの象徴であり、女性が男性に求めるものは、力はたくましさの象徴であるからです。

男女の性がそれぞれ機能するところによって人間の社会は円滑に回転します。

働くという事は人間として義務であり、同時に女性の働きというものはこうした家庭に安らぎを与える働きがあります。

これを持ち寄って初めて私たち人間の、この世界の調和という事が出来ます。現在はまるっきりその反対をいっているのです。

働け働けって、何を働くのだかわからないのですが、この不調和な心の働きが出て来るようであります。

同時に職業に就き働くという事は人々に必要なものを提供する事を意味し、職業の無い者、働く事の必要の無い者は一人も居ないのです。

今日の社会生活はそれぞれがその業務を分け合い、互いにその生活を補い合い、こういう事に逆行するから世の中というのは不調和になって子供はノイローゼになって、そして子供が情緒不安定になって登校拒否や何かをやるのです。

この事がわからないから何が原因だろう、何が原因だろうと。それは男と女が違った仕事をしるからこういう事になって来るのです。

すなわち分業化によってそれぞれの生活を支えているというのが実情であり、私たちが仕事をし、働くという事は、白からの生活を維持し、人々の生活を支える事です。ですからそれは愛の行為につながるのです。

愛は他を生かすことにあり、助け合う事です。仕事をし、働く事は他を生かす事ですから愛の行為なのであります。

仕事をし職業に就く事が愛の行為にもかかわらず社会がこのように混乱するのは、仕事は単に金儲けの手段と考え、人はどうでも自分さえ良ければと思うのが、その原因であります。

今職業を持って働くという事はお金を儲けるという手段に人間が変わって来たのですね。

しかし決して変わっても神理は変わるものではありません。今日の多くの人々は、正しく仕事をしているとは言えないでしょう。

正業の在り方はこの地上界の調和に役立てる事であり、その基礎は愛であり、奉仕の心なのです。

戦後の企業は労使の対立が深まり、常に争いと混乱が絶えません。

一部の指導者は、先導者、文明の発達と社会の進歩はこうして闘争の中から生まれると見ていますが、とんでもない事です。人間は文明や学業技術の奴隷ではありません。

人間の為の文明や社会の進歩であって、進歩の為に人間があるのではありません。

闘争はどこまで行っても闘争であり平和にはなりません。平和の無い文明ならそんな文明は必要ありません。労使の対立に激しい企業ほど不調和であり、やがて倒産へと発展をして行きます。

企業が倒産すれば労使共に生活に困り、家庭は路頭に迷うことになります。

労使の対立はどうして起こるのでしょうか。それは組合も使用者も互いに自己主張して譲らず、それぞれ自己保存の中に埋没しているからで、使用者は出来るだけの賃金を払わまいとし、労働者はより以上の賃金を獲得しようとします。

これでは両者の争いはエスカレートせざるを得ません。

労使が裸になり、互いに対話の姿勢を持ったならばこういった争いというものは起きません。

経済社会がどんなり合理化されたとしても、お互いに汗して働かなければ生活は必要なもの、つまり衣食住を得られないのであります。

ですから使用者は大体に於いて、金を出したからいいという事ではなく、又労働者は労働力を提供したからいいというものではありません。

それに伴うものは慈悲と愛という心なのです。やはりお互いに資本家があり、お互いにこの労働力があって、それを持ち寄って一つの調和と成して行く事が労使双方の心がけでなければならんものであります。

経済の合理化とは分配の公平にある訳ですが、分配の公平はまず人間尊重の対話からであり、対話の前提は自己保存による自己主張はまず捨てて、人間本来の目的と使命を自覚したところから始まります。

物事は単一を通しては決して満足な結果は得られません。

こうした意味でまず人間とは何か。人間はどこから来てどこへ行くのか、こういう事を考えてみると我々があの世にこの魂の修業が終って還る時に持っていくものは、経済でも物質でもないのです。

心だけなのです。慈悲と愛という心を持っていくしか目的はないのです。

それをこの世で我々はこうした物質や財産、あるいは地位、名誉というものを持っていこうとするところに反作用という不調和が起きてくるのです。

この事を皆さんはよく考えて、よく航空会社などで事故が起きるという事は、この労使の対立や何かの時に起こるのです。

要求貫徹という言葉がありますが、要求をあまり貫徹が強すぎるとそこに不調和が起きて、今度は飛行機の運航が意のごとくいかんというところにそういう条件が起こってきます。

人間は経済の奴隷ではありません。人間は己の魂を磨く為にこの世に生まれ出て来ています。

こういう観点を我々が考えてみればすぐわかる事なのです。だけど労働組合などの圧力が強いとなかなかそういう訳にはいきません。

そうして今度は自分たちが自動車事故が起きた、航空機事故が起きた、こういうところに私たちの心の欠陥というものは心の波動によって起こってくるのです。

人間は己の魂を磨く為にこの世に生まれ出て参りました。

それぞれの職業や役割というものは、その時々自分の魂を磨く材料、環境であるという事を知る必要があるでしょう。

すでにこれまで記述してきたように、人間の魂は転生輪廻し、あるいは主として君臨し、あるいは一介の農夫で身を粉にして働き、ある時は医者として人々を救ってきたのです。

そうした今世は一介の労働者であり、経営者の立場に立っている訳であります。そういう立場は己の魂をより広く豊かに育ててゆく為であります。

ですから戦争という事も、人生の長い転生輪廻の間に戦争という事も何度も体験させられ、この体験をした時に、こんな割の合わない戦争などというものはやらない事が、これが我々の万物の霊長である人間のモットーなのです。

自分が思っていた事が、実際には心とは裏腹な事で表面に出て来る事が沢山あります。

人間はみな政治という事も、法則と心というものをわきまえてこの地上界で魂の修業をする条件であるという事を、今度の参議院選でもよく勉強する事が出来ました。

対立や争いにあるのではないのです。人間は皆兄弟であり友です。

こうなりますと一つのパイ、物を巡って争う事の愚かさが理解され、互いに愛を以って救け合う、他を生かすことの意義を見いだす事が出来るでしょう。

こうした意味から、正しく仕事をするとは次の三つの目的から成り立っています。

魂の修業。地上界の調和。奉仕。すなわち人間の魂、心は転生を輪廻してゆくものですから、現在の環境、立場、自分の魂を磨いていく修業の場であり、地上界の調和とはそこに住む人々それぞれが職業を持ち働き、自分の生活を保持し、人々の生活を維持するという事なのであります。

つまり働きとは地上の調和に役立つことなのです。

それを地上の調和に反比例するような現代の思想やイデオロギーというものは、よく考えてみる必要があります。

今、女性の議員の中には、女性だけ集めて号令を掛けている人がいるのです。

男性と女性というものは、男性は男性、女性は女性という条件でものを考えた時にどうなりますか。それぞれ単独で存在したら五十年も経てば人類というものはなくなります。

女性は女性という生活をしてごらんなさい。第一子孫が無くなってきます。

子孫が無くなるという事は意志を継ぐ人間の乗り船が無くなるという事なんです。男性は男性という条件でものを考えてみると、ここに女性と男性が必要であって、XXでは子孫にはなりません。

こういうことを考えると私たち人間というものは、女性と男性というものがいかにこの調和を取って生活をしていく目的でありますから、よく皆さんが考えを持たれた時に、やはり男性と女性が調和を取って、この調和こそが仲良くしてこの地上界の生活をしていくというところにあるのでございます。

1989年(平成元年)10月「心のつどい」東京研修会より
編集:飛騨高山心のつどい

この記事を書いた人

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村坂 克之

小又接骨院・鍼灸院の院長です。柔道整復師、鍼灸師の国家資格にて施術を行っています。屋号の小又(こまた)は、先祖の小谷屋亦治郎(亦=又)に由来します。親指シフトユーザー。
詳しくは院長略歴をご覧下さい。