村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
正法の要(かなめ)
神と人間
大宇宙の大意識、心が神である。神は中道という自然の法の中に生きている
神の意
- 地上世界の調和
- その調和の担い手は神の子である人間
- そのために神は、神が所有するその能力を人間に与えた
イ.自由な想念(創造の自由、宇宙大の己の心)
ロ.自由な意思(善の行為)
ハ.慈悲と愛の心(神の心)
人間の使命と目的
- 地上の仏国土、ユートピアの建設
- 仏国土の姿は、人と人との協調、協力
人間と動物との交流、人間と植物の相互依存、人間と自然との友愛
自然の成立と人間の関係
A. 大宇宙大自然の構成
①神の大意識(心)→② 熱・光・電気・磁気・重力 5つのエネルギー→ ③物質化
B. 人間の魂の構成(魂の兄弟は6名)
①本体1 → ② 5人の分身→ ③人間
例:手のひらや指
手のひらが本体、指が分身、指の中でも役割がある(親指、人差し指、中指、薬指、小指)
本体は分身のカルマも修正する責任がある
C. 魂の系列(魂の兄弟は6名)
①の系列(男本体1・男分身5)
②の系列(女本体1・女分身5)
③の系列(男本体1・男分身2女分身3)
③の系列(女本体1・女分身2男分身3)
D. 3つのプロセスと3つの組み合わせ
(その1)
生命のプロセス
①神の大意識→ ②あの世実在界→ ③この世現象界
(注) 神の大意識を離れた個の生命の輪廻
輪廻:
①実在界→ ②両親という縁→ ③現象界
①現象界→②定命(肉体の死) → ③実在界
物質のプロセス
①神の大意識→② 5 つのエネルギー→ ③物質化
輪廻:
①5つのエネルギー→ ②集中→ ③ 物質化
①物質→ ②分裂→③ 5つのエネルギー
例 水の転生輪廻
①気体(エネルギー) → ②集中(熱の作用) →③液体 固体(物質化)
① 液体 個体 (物質) → ②分裂(熱の作用) → ③気体(エネルギー )
(その2)
- 生命が宿る地球
①太陽②月③地球 -
地上の成因
①気圏②水圏③岩圏 -
細胞の構成
①核②細胞質③原形質 -
原子の構成
①陽電子②中性子③陰外電子 -
電気の性質
①陽性(十)②中性(N)③陰性(-) -
人種の三態
①白色②黄色③黒色 -
心の三構造
①知②情③意 -
信仰の循環
①信②行③光
正法、既成仏教、新典宗教の相違
1. 正法
大自然の法をもとにしている。
例
1. 太陽は地上に無限の熱、光を与えている。(慈悲・愛・平等)
2. 空気は地表に密着し大気中に霧散しない。しかも、減りもしないし増えもしない。(中道を守っている)
3. 人間は酸素を吸い炭酸ガスを吐く。植物は炭酸ガスを吸い酸素を吐く。(協調・協力)
4. 春夏秋冬の循環を常にくりかえす。(循環の法)
5. 自然は春に花を咲かせ、冬雪を降らせる。(自然は正直、人間も己の心にウソはつけぬ)
- 大自然には厳然とした秩序がある。秩序は法である。法とは大意識である。心である。神である。
- 神はその全能と自由なる意思にもとづいて大宇宙大自然界を創られ、自然界の中に生命として生き続けている。
- 神は大自然界を創造すると同時に人間をつくられた。そうして人間の心の中に住まわれた。大自然が法にしたがって生き、正直である。人間の心も正直につくられている。
- 人にウソはいえても、己にウソはいえぬ。
- 自然界の心と人間の心は同通し、決して別々に存在していない。
- 人間に与えられた目的と使命は、大自然が秩序整然とした姿を示しているように、この地上界をして調和ある仏国土を造らんがためである。
- 調和ある仏国土は中道の心にそってはじめて実現するものである。
-
人間は、精神と肉体を所有している。このために、人間社会の調和は、精神と肉体のバランスの上に立つことが大事である。
- 家庭も社会も、すべてが中道に適った調和が神の心に適った仏国土の基本である。
- 地上には四季がある。四季のないところもある。しかし文明文化は四季のあるところに栄える。四季の循環ばそのまま中道の法に適っている。
- 中道とは左右に片よらない姿である。
- 正法は大自然の法をもとにしており、したがって、正法は永遠にかわらない。
正法には3つの柱がある。そして自然界を支えている。
①大意識、神の心
②循環の法(転生輪廻)
③慈悲と愛
- 神の心は、あらゆる生命物質を生み出すエネルギーとして、大宇宙に充満している。
- エネルギーは集中、分裂という過程を通して物質化され、エネルギー化してたえず循環している。
人間の生命もこの世とあの世を転生輪廻している。
想念も、善を思えば善、悪を思えば悪という循環をくりかえす。 - 循環は生命の永遠性を保障するものである。
あの世がなく、この世だけなら人間の生命ははかない。
しかし、循環があるために、人間の生命は永遠に生き、死を知らない。
- 地球の循環(自転-昼と夜、公転-季節)は、あらゆる生命を生かし、太陽の熱・光を中道という法にそって地上に与えている。
したがって、地上に生きるあらゆる生命は、循環という法のなかで生かされ、育まれている。
循環はそのまま慈悲の心であり、愛の大自然の行為である。
正法には3つの証明がある。
①文証
②理証
③現証
- 文証=大宇宙は神の心によって創られ法によって動いている。地上は、それ故、神の胸中であり、大神殿である。
これを論理的に証明するものが文証の一つである。
また大釈迦が説かれた正法、仏教(経文)を証明してゆくのも文証の一つである。 - 理証=宇宙には心と法が存在する。法は佚序であり、秩序は科学的に割り切れてゆくものである。
理証はそれゆえ法の科学的証明でもある。 - 現証=霊道現象:人の過去世、過去世の言葉、霊視
憑依の浄霊:動物霊、地獄霊の浄霊
人の心が分る:過去、現在、未来について
奇蹟:物質化現象、病気の治癒 -
正法は以上のように、3つの柱と3つの証明から成っている。正法者は大自然の心と法にもとづいて、その想念と行為を毎日の生活に実践してゆくものである。
- 正法は大自然の心を信じ、法を理解し、大自然の精神を生かしてゆくものであるから、永遠にかわらず、消滅したり、かわったりすることがない。
- 正直である己の心を信じ、法を理解し、その理解にもとづいた中道の法を実践してゆくならば、人間は真に心の安らぎを得、魂の進化が約束されてくるものである。
2.既成仏教
- 既成仏教は大釈迦の説かれた法である。だが長い年月の間にその法話は学問になり哲学と化した。そうして次第にその真意が不明瞭になり、今日では拝む宗教にかわった。すなわち他力となっていった。
- 正法は自力である。大釈迦の説かれた正法は人間神の子、仏の子である。神仏には頼よるものがない。神仏の子も又しかりである。他力は、人間の弱さからくる。一寸先がヤミであるため不安がつきまとう。そうして五官六根にふりまわされるので、いよいよ他力が信仰の在り方であると錯覚してしまう。
-
信心信仰が、拝むことになったのは、こうした肉体を持つ人間の弱さからくる。
-
既成仏教は、拝むことに救いがあるとし、信のみに比重がかかり、生活行為がおろそかになっている。これでは決して人間の救いにはならない。
3.新興宗教
- その多くは仏教からキリスト教から教理を借りうけ、教祖の勝手な解釈を加えて経典をつくり、信者を集めている。
- 多くはご利益信仰である。
- 教祖が我欲の持主である場合が多く、このため動物霊が憑依している場合が非常に多い。
新興教団の傾向をあげると次の通り
- 教祖は神と袮している
- 教祖、幹部の人達の感情起伏が激しい
- 女色におぼれやすい
- 地位、名誉、金に執着が強い
- 排他的
- 独善的
- 威張る(殿堂をつくり、信者を畏敬させる)
- 信仰をやめるとバチが当るという
- 偶像崇拝
- 神理の探求より拝むことが先行する
- 狂信、盲信者が多い
新興宗教は、正法にそった神理を知らないために、教理の論理性に欠ける。そのため教団幹部は理屈をいう信者を嫌い、頭から信心する者をよしとし、それが信仰の姿であるとして、ウソの上塗りを重ねてゆく。
教団の運営は大乗の思想をとり入れ、1人でも多くの人を救えば自分も救われるといい、信者獲得に信者を督励する。
信者は現象利益という我欲を当てにかけずりまわるようになる。
教団は信者をつなぎとめるため、各種の催し物、行事を重ねてゆく。こうして、新興教団は、神理の殿堂から離れ、文盲(モンモウ)の徒(ト)をつくり出し、教団経営という教団拡張の行為に走ってゆく。
八正道
八正道の目的は、正法の心である中道の精神を養うことにある。
1.苦・集・滅・道
- 苦=迷いを意味する。人間の生老病死が迷いを生み、肉体中心の考え、行動に走らせる。
- 集=迷いの原因。迷いの原因は、肉体そのものでなく、肉体を動かしている意識、魂、心にある。意識の浄化こそ迷いから脱け出すことが根本。
- 滅=意識の浄化は、ものの見方、考え方、とらえ方が正しくなければならない。それには、六根の原因をとりのぞかなければならない。
- 道=それには正法に基づいた八正道を行じてゆくしかない。
2.八正道
①正しく見る
②正しく思う
③正しく語る
④正しく仕事をなす
⑤正しく生活する
⑥正しく道に精進する
⑦正しく念ずる
⑧正しく定に入る
正しさの尺度(その1)
- 慈悲・愛の心(太陽の心、寛容の心、助け合う心)
- 自由・平等の心(人間は神の子である、人を拘束することのできない自由性を持つ)
- 善なる心(人の喜びを素直に喜べる心)
- 感謝報恩の心(生きていること自体感謝できる心、報恩)
- 自己の主体性 (人間神の子、大釈迦の宇宙即我)
- 循環の法(善には善、悪にぱ悪)
中道の尺度(その2)
例:愛=盲愛、偏愛は愛ではない
慈悲=押しつけ、出し惜しみは慈悲とはいえない。
中道の心は神の心をいう。神の心は私心がない。人問もこれを目標にして、中道心を養うように努力することが大事。
八正道の行じ方は、第一に、正しさの尺度を持って、第二に中道の心が養われるように、その毎日の生活を実践することにある。
それには努力と反省を重ね、あやまちをあらためてゆくことである。
- 正しく見る(正見:しょうけん)
- ものには必ず原因がある。原因のない結果現象はあり得ない。
- 眼や耳や肌に感じた現象だけにとられないようにする。
- 正しく思う(正思:しょうし)
- 怒り、そねみ、ねたみ、憎しみの思いは自己の意識、心を毒す。自分にないものは現象化しない。
- 過失は人間にはつきもの。誤ちはあらためればいい。
- 悪の想念を生み出さないようにつとめる。
- 正しく語る(正語:しょうご)
- 言葉はあの世にも通じる。人と人との不調和の原因。
- 争いの種は大低、言葉によって生ずる。
- 不調和をもたらす言葉はさけるようにつとめる。
- 正しく仕事を為すこと(正業:しょうぎょう)
- 健康で働けることに感謝する。
- 正業の基本はどんな小さな仕事にも誠心誠意つくすこと。
- 大臣になって政治を動かしても、我欲を満たすものであれば神は決して喜ばない。
- 量より質が問題。
- 正しく生活すること(正命:しょうみょう)
- 人生の目的と使命を自覚し、それに向って努力する。
- 人生の目的は、己の短所を長所に修正し、この世を仏国土、ユートピアをつくることにある。
- そうして後進に道をつくることにある。
- この規範は、主として己の心の練磨にある。
- 正しく道に精進する(正進:しょうじん)
- 親子
- 兄弟
- 友人
- 隣人など
- それぞれの道に適った精進を行う。
- このほか物を大事にする。動物・植物をいたわることも精進の大事なつとめである。
- 正しく念ずる(正念:しょうねん)
- 念には目的がある。
- 自分はこうありたい
- 会社を大きくしたい
- 金持になりたい
- あの人と結婚したい
- 俺はこういう人間だ
- など…
- 正法の念は中道に適ったものを最上とする。
- 一番大事なことに、足ることを知った想念と行為である。
- 正しく定に入るべし(正定:しょうじょう)
- これは反省である。
- 心を静かに落ちつかせ、以上の7つの規範について正道に適っていたかどうかを反省する。
- 反省を重ねてゆくことによって、中道の心が次第に明らかになってくる
- 反省の大事な点は、これはいけないと分ったならば二度と同じことを繰り加えさないことである。
- 想念と行為が一致するようにつとめる。