結果を出す手技療法のパイオニア

村上宥快和尚さん説法「体の自由と心の自由について」

村上宥快和尚さん(大正7年10月8日〜平成3年3月12日・享年72歳)のお話をまとめました。

体の自由と心の自由について(八正道を実践することが自由につながる)

自由とは、私たちが自分の自我意識を張り出すことではありません。

私たちは、宇宙の原則の中で生きています。神の自由な心です。

普段、私たちは、エゴや執着で心をがんじがらめにして生活をしています。

その状態を心から取り除いた時、私たちの心は自由になり、肩の力も、心の力みも、懸念もなくなってきます。

神様の心とは、自由なのです。

普段、私たちは、自由を善であろうと悪であろうと勝手に振る舞うことが、自由だと思っていますが、正法の自由とは、心の束縛から解放されることが自由なのです。

私たちは、心も体も煩悩という曇りによって不自由をするのです。

煩悩を心から排除すれば、我々の心と神の心は同通するのです。

私たちの心は、本来は自由自在に、「宇宙即我」という境涯に到達できるだけの能力を持っているのです。

このことが、本当の自由なのです。

いわゆる、是非善悪という自分の心の煩悩という曇りを取り除くと、次元の越えた世界は非常に自由なのです。

その自由でも、あの世という存在の世界へ行くと、「ラクダに乗って針の穴をくぐる」ということを、キリスト教の聖書には書いてあります。

人間の心とは、肉体という囚われがあって初めて不自由なのです。人間は意識の世界を、開拓してきますと全く自由なのです。

今まで私たちは、束縛や悪という想念に取り巻かれて、自分自身の心の自由を失っています。

私たちが悪事を働いて、刑務所へ入ったとします。又、冤罪で、同じように刑務所に入ることもあります。すると肉体の不自由を感じるのです。

しかし自分の心の発展の過程では、そういうこともあり得るのです。

それはなぜかと言うと、ガリレオが地動説を唱えたら、当時の人々は宗教裁判にかけて罪人にしたのです。牢獄に入れたのです。これは肉体の不自由なのです。

しかし本当に、自分の心の自由を求めた時に、今まで自分の心を束縛していたものは、実は、私たちの心だったということがわかって、心の束縛をほぐせば自由に、あの世とこの世の世界、悪の世界も善の世界も、一目瞭然に理解できる条件が出てくるのです。

これが本当の自由なのです。

自由というものを、私たちは、現在のように、「自由だ、自由だ」つて言って、皆、不自由を感じているのです。

現在の自由とは、物の自由しか考えてません。

そうではなくて、物質や経済から解放された心が、私たちの本当の自由な働きをしてくるのです。

ですから、人間は今までの想念を変えていかなければなりません。

今まで人々は、物質や経済、あるいは地位、名誉というものを通して考え処してきたのです。

しかし、そういうものは本来必要のないものなのです。

自分の心をがんじからめにしていたものを、八正道により取り去ると、「宇宙即我」というお釈迦様の悟りの境地にも到達できるのです。

ですから八正道は、心の束縛を解放する唯一の方法なのです。

それを、体得することが本当の自由なのです。

幽体離脱という条件があります。これは、人間の意識が肉体を離れることなのです。

これは、誠に爽快なものなのです。自由自在にあの世を闊歩することができます。肉体という、物質の執着から離れた条件なのです。

皆さんも八正道をやっていくうちには、幽体離脱という条件を体験することになります。

それを体験してみると、私たちは、自由というものの本質がわかると思います。

1990年(平成2年)10月15日 東京研修会にて

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村坂 克之

小又接骨院・鍼灸院の院長です。柔道整復師、鍼灸師の国家資格にて施術を行っています。屋号の小又(こまた)は、先祖の小谷屋亦治郎(亦=又)に由来します。親指シフトユーザー。
詳しくは院長略歴をご覧下さい。