村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
【注釈】この座禅は禅宗のではなく、八正道に基づくものを指します。正見、正思、正語、正業、正命、正進、正念、の7つの規範について正定という禅定(座禅)を行うことを指します。
座禅の概要
仏教の教えは元から、八正道に基づく反省座禅が最も正しいお釈迦様の教えでありますから、禅宗系の独占物ではありません。
故に仏道の修業の実態は、これをおいて外にないのであります。
現代仏教にはさまざまな修業の方法があるようですが正しいものとは申せません。
回峰行(かいほうぎょう)、荒行(あらぎょう)、加行(けぎょう)、念仏(ねんぶつ)、護摩(ごま)、祈禱(きとう)、水行(すいぎょう)といった類のものは、心に基づく行とは違い、又、無念無想(むねんむそう)といった座禅も真に心をとらえることは不可能ではないでしょうか。
ことに無念無想などの行は最も危険な心の在り方で、魔に侵され易くノイローゼや憑依作用を受けることを知らねばなりません。
酒を飲んだ時、満腹や寝不足の時の睡魔の状態で行うと、動物霊、あるいは地獄霊が憑き易いことを知ると恐ろしいことになります。
釈尊の真の教えは冒頭に申しましたように、座禅は必ず反省と瞑想が組み合わされなければなりません。又とらわれないと云うことは、何も考えないこととは全く違っています。
とらわれないということは、エゴと執着・煩悩の心、それは妬み、恨み、そしり、愚痴、怒り、葛藤、闘争、自我、我欲、自己保存等の心が無いことを、とらわれが無いということになります。
反省のない瞑想(禅)は避けてほしいものです、心の中まで腐敗してしまいます。ですから反省がかなり進んでからでないと瞑想はしない方がよいと思います。
又、座禅はそれほど形にとらわれなくともよいと存じます。椅子でもよく座ってなるべく長持ちする座り方がよいと思います。
形にとらわれて体が硬くならないようにして下さい。余り端正でなくともさし支えありません。
肩の力を抜いてゆったりした気持ちになる、いわばリラックスした気持ちです。体勢が出来たならば、深呼吸を静かに大きく二、三十回くり返してこの体勢で、静かに落ちついてから反省に入ります。
八正道を熟知することです。
八正道は大宇宙自然の中で生存している人間がその理法を知ることが大切で、いわば心の働きのフィルターであり循環している姿でありますから、初歩から難しいことをいっても、自己の心をとらえることはなかなか時間のかかることですから、八正道を簡単に説明いたしておきます。
八正道の骨子
高橋信次先生から伝授されたものであります。高橋信次先生が転生輪廻の過程に於いて二千五百有余年前、印度の当時、人びとの心に灯した教えを最も現代的に日本の言葉で理解し易く教えたものであります。これを実践したことは過ちなく悟りに至る道であることを実証しました。
八正道について
八正道の目的は、正法の精神である慈悲の心、愛の行為、中道の心を養うことにある。
1.中道……左右に片寄らない調和の心。
1.慈悲……生命を生かし続ける神の心。
1.愛……他を生かす、助け合い、補い合い、許す行為。
これを要約すると、1.神の心、1.正しい循環、1.慈悲と愛
正見(しょうけん)
目的=事物の正確な判断、見解を得ることにある
1.それにはまず、事象の一切の原因は人の想念(念・意)にあって、現われの世界は結果であることをまず理解する。
2.既成観念を白紙に戻し、事物の真実を知るようにする。
3.正見の反対は邪見であり、邪見は邪心によって生ずるので、まず心のわだかまりを除き、常に善意な第三者の立場でモノを見ることが正見の秘訣である。それはまた、八正道の各規範の秘訣である。
正思(しょうし)
目的=思うことは物の始まり。あらゆる現象は思うことから始まるので、他を生かす愛の思いが正思の根底。正思は、正道の中でも特に重要。
正語(しょうご)
目的=思うことは言葉となる。愛の思いは愛の言葉となる。正語とは愛の言葉。
心に愛があれば、言葉以前の言葉が伝わり、相手に正しく伝わるものである。
正業(しょうぎょう)
1.魂の修業(転生輪廻)
2.地上界の調和(職業につき仕事をすることによって他を生かす)
3.調和の基礎は感謝の心と本仕の行為(人々に奉仕する)
正命(しょうみょう)
目的=調和ある精神的、肉体的生活が目的。
それには己の長所、短所をよく見極め、カルマと化している原罪(自己保存の想念)を正す努力が必要。
正進(しょうじん)
目的=人間関係の調和。
夫婦、親子、兄弟、友人、隣人、社会の人間関係は、愛の理念で貫かれている。
正念(しょうねん)
目的=念はエネルギーであり、ものをつくり出し、この地上界にあってはあらゆる原因の根源。
念は目的意識であり、それ故、行為を意味し、他を生かす慈悲と愛の念以外はカルマの温床になる。邪念と対比して考えると正念の意味が一層明瞭となる。
正定(しょうじょう)
目的=反省によって心が安定し、やがて不動心が養われてくるが、その不動心を日常生活の中に活かせなくては正定の目的は半減する。
正定はまた、実在界とのもっとも身近な交流の場であり、正定には様々な段階があるが、要は心の調和、安定、智恵の湧現が正定の目的となる。
- 修業=学問や技芸を習い、身につけること
- 湧現=大量に出現する、勢いよく現れる