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村上宥快和尚さん説法「釈尊の仏法に還れ(上)3/5:宗教と科学(神のエネルギーによる感知能力) 」

村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。

仏教関連の雑誌や新聞への投稿記事です。

釈尊の仏法に還れ

八正道の思惟こそ仏法の解明の真実道、仏典を学ばぬ恩師から指摘、無学なればこそ正法を信じ得た。

宗教と科学(神のエネルギーによる感知能力)

宗教は宗教、科学は科学といった物の考え方では、宗教も科学も理解できない。

私は科学も宗教も恩師から学んだ。それは宇宙摂理としての学び方で、科学は宇宙摂理を分析的に考察する方法である。宗教は宇宙摂理の総括的な自覚であるからだ。物質の先端科学に振り回され、宗教を学問化すると大変な遅れをとることになる。

その理由は心の実践がないためだと思う。

宗教家が心の実践を行なった時、心を科学することができ、科学者が心を知った時、人類文化の物凄い発展が可能となる。観するところ、釈尊もキリストもモーゼも偉大なる科学者である。

宗教は宇宙の摂理を自覚する途であるからだ。釈尊が説かれた般若心経の中で神の存在が明らかにされ、ビルシャナの大日経でも如実心は経題の中で成仏神変と掲げている。仏教で神の存在をれっきとして表現しているが、仏教学者が神の存在を無視するような風潮があるとすれば、これは無知という他はない。この宇宙の存立を見ないことになる。

毘盧遮那仏(毘盧舎那仏)とは – コトバンク

これは非科学性も甚だしい。神の実体を知らないから曖昧性が生まれるのである。

信じる信じないは別として、太陽をはじめ無数の天体は、何らのエネルギーの存在なくして、自転公転の運動をなし得ない。地球上にも、自転公転の運動の中に昼夜の別があるのだ。太陽の熱・光・地球の空気や水の循環これらの運動、人間の運動も感能も、肉眼で感知することは、神の力なくしては、どれ一つとして肯定できるものはない。

唯物的な考え方からいうと、肉体が心や働きを作り出しているかに思う人々が多いのだが、実は意識が肉体を作動しているのである。

〝五蘊は空なりと照見する〟の一句は、物質は神の意識よりコンタクトされていることを説き、あの世の意識の世界から投影されているのである。その意味であの後光(オーラ)は意識の光のことである。〝色即是空〟この一語は、般若心経の解釈に大きな過ちをもたらした。〝空即是色〟はあの世からこの世をスライドしている。

肉眼で感知出来なくとも、厳然として存在を保っている世界である空は、空(ムナ)しいと訳すものではなく、この場合は宇宙空間、意識の世界である。

もし空か空しいとするならば、テレビ、ラジオの発明は不可能だ。テレビカメラで捉えた色彩や映像を、電波のエネルギーに変えて空間を通過している時、肉眼で感知出来なくとも否定することができない如く、神の意識から空間に展開している意識の世界も否定することはできない。

ただテレビやラジオは電波のエネルギーで、意識は熱、光、磁気、電気、重力のエネルギーだと恩師は説かれた。
事実、この意識の世界は肉眼では見えないが、心眼を開けば霊視はできるのである。

私たちの意識(心)は、昔から精神と称しておるように、意識の先端は神経というのである。五官は皆、神から補給されるエネルギーによって感知能力を有しているのである。

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村坂 克之

小又接骨院・鍼灸院の院長です。柔道整復師、鍼灸師の国家資格にて施術を行っています。屋号の小又(こまた)は、先祖の小谷屋亦治郎(亦=又)に由来します。親指シフトユーザー。
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