村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
仏教関連の雑誌や新聞への投稿記事です。
八正道の思惟こそ仏法の解明の真実道
仏典を学ばぬ恩師から指摘、無学なればこそ正法を信じ得た。
求道
私は幼少より、人間の生命について長い間疑問を抱きつつ、十四歳で郷里に近い閼伽井獄常福寺(あかいだけじょうふくじ)に弟子入りをして、仏道修行によって生命の探究を志した。後に故あって現住観音寺の徒弟として得度を受け、仏法の「悟」について限りなく憧れ、道を求めて今日までその志を抱き続けてきた。
結果、曲がりなりにも、正法の道にたどりつくことができた喜びを申し上げたい。
私は小学校の教科書で学んだ、釈尊のイメージがどうしても忘れることができなかった。
正法に就くまでは、種々考察したり断食の修行、お遍路修行、修法なども続けて十余年、ひた向きにこれらの行法、坐禅なども自己流ではあったが工夫をしてみた。
そして宗祖の実践された経路は如何なる方法をとられたか、他宗の宗祖の方々も折に触れて覗き見をしても、これぞと心に訴えるほどのこともない。ただ宗祖の秘鍵の中の禅那(ぜんな)と正思惟(しゅうしゆい)とが、また聖徳太子の四諦八正道の事柄はいささか気に留めるが、その方法は用としてつかめない得なかった。
坐禅の無念無想などは到底でき得る芸当でもなかった。四十五歳の頃であった。
求聞持(くもんじ)や、回峰行(かいほうぎょう)などは体力に限界も出て来たし、悟りについては半ば断念とも諦めともつかない心がよぎった。ちょうどその頃、豊山派でインド仏跡の巡拝を試みた。だがインドに行ってみても、正法の実践に対する跡形もなく、ただ空しさを感じるのみであった。考古学や旧跡の展示に等しいものだった。私は考古学には余り興味がない。
が、不思議なことに懐かしさだけが湧いて来るのにはいささか驚いたのである。
現下盛んにブタガヤや西安の都に堂塔が建立されつつあるが、どれを見ても仏法の真髄に触れていないような気がしてならない。 宗教の真実は「心」にあるからだ。心を離れて仏法はない。
観光地の造成であっては仏祖宗祖に相済まぬ気持だ。ただ宗祖大師や仏祖釈尊を偲ぶということだけでは、求道精神をどうしたのか、というそしりは免れない。
これに伴う求道精神こそ、重要なものでなければならないと思う。