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村上宥快和尚さん説法「臓器移植問題について宗教者の立場から一言」

村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。

仏教関連の雑誌や新聞への投稿記事です。

臓器移植問題について宗教者の立場から一言

他人の「局部生命」を借りて、なぜ生き続けるのか

脳死や心臓死等をめぐる臓器移植が問題となっていますが、宗教者の立場からひとこと、申し述べたいと思います。

現代医学は人間生命、また宇宙との関わりあいをどのように見ているのでしょうか。ともすれば、人体を物質としか見ず、意識と肉体との共存性を無視しているのではないかとも思われます。

病気は、肉体的なことよりも、精神的な原因から発病することが多いということを知らない医師が増えているようです。「心を忘れた医療」がまかり通っています。医師も患者も、心を見失っているのではないでしょか。

人間の体は大宇宙体が根幹

人間の体は大宇宙体を根幹として出来上がっています。つまり、大宇宙体は一大生命体であり、人間の体は小宇宙であります。大宇宙体(一大生命体)は三つに大別することができます。

  1. マクロ(極大)の生命は天体の運動である自転・公転
  2. ミクロ(極微)の生命は核の分裂と運動
  3. 人間の生命は転生と輪廻(循環運動)

この三つは一体の運動であり、互いに共存しています。人間も意識と肉体(原子)との共存によって生活を続けているのです。マクロの世界(天体)も恒星と惑星、ミクロの世界も核と分子で生存をし、人類も、余り気がつきませんが、本体と分身から成り立っているのです。

恒星と惑星は各々分担があり、核と分子も又同じく分担をもっており、人間の本体と分身も役割が各々定まっております。分身が本体になったり、本体が分身になったり、核が分子になったり、分子が核になることはありません。

また人間の場台、男女の性にも自然の法則があり、分担があります。男性は衣食住に責任があり、女性は夫の働き得たものを衣食住に配分して、子供を育む責任があります。

この原則が崩れると世の中はだんだん不調和になります。男が女の分野の仕事をしたり、女が男の分野の仕事をすることは、決してよいことではないし、喜ぶべきことではありません。男女の数が五分五分になっていることは、あの世の厳然たるコントロールによることを知るべきでしょう。

人間には厳として性別があり、分担があるように、人体の臓器の働きにも各分野の分担があり、これらの臓器の細胞集団にもそれぞれの意識が共存しているのです。

一度限りでない人間の生命

ことに、人間にはそれぞれの目的と使命があり、循環しています。

人生は一度限り、この世限りではありません。この現象の世界は、意識生命(光子体)原子体(肉体)の二つが組み合わさって生存をしております。この目的は魂の修行ということです。実態は転生輸廻を続けているのですが、光子体は肉眼で感知することが不可能です。

テレビにしても、電波、磁波、長波、短波にしても、また赤外線、紫外線、X線にしても、肉眼で観識することができないからといって無視する訳にはまいりません。ここに人間の錯覚があるのです。心眼を開けば、こんな錯覚は起こらぬはずです。魂の修行によって、心の調和を計ることによって、この世界も不可視ではなくなります。

人間は神仏より与えられたそれぞれの性格、意識を持っています。各人の造り出す意識によって、臓器も造成されているのです。人間の使命、目的が、「魂の進化」ということを知らずに、ただ無謀な臓器移植をして、命を永らえて何の喜びがあるのでしょうか。

己の肉体を使い果たして、他人の「局部的生命」を借りてまでしてどうして生きなければならないのでしょうか。

死という私たちの観念は、この世限り、一度の人生と想うことから起こっているのであります。

死とは原子体の死を指すのであり、意識生命の死ではありません。

大宇宙の意識生命とのつながりを持ち不滅です。宗教とは意識生命の自覚を知る教えであることを知るべきでしょう。

この記事を書いた人

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村坂 克之

小又接骨院・鍼灸院の院長です。柔道整復師、鍼灸師の国家資格にて施術を行っています。屋号の小又(こまた)は、先祖の小谷屋亦治郎(亦=又)に由来します。親指シフトユーザー。
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