村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
学問では心を学べない
正法は学問ではありません。
物事の真実を知ることが大事だからといって、学者や研究者がするような正法の研究者になっては豊かな人間性は育ちません。
仏教やキリスト教が哲学化され、学問に姿を変えていったのも知が先行していったからです。
お釈迦様は、生まれて此の方、人間の心の自然なことを白覚しなさいということを教えているのです。
それを仏教哲学といっていますが、仏教は哲学でも学問でもありません。
仏教にしても、キリスト教にしても、大宇宙の真実の中で、いかにしたらより良い生活をして行けるかという教えなのです。
心はエゴという条件を誰でもが持っているのです。
エゴという条件は、妬み、恨み、そしり、愚痴、怒り、葛藤、闘争なのです。
宗教も、エゴを心から取り去り、調和された心となり生活をしなさいということを教えられるのです。
宇宙が示す神理に私たちは同調をして生きていくのです。拝むことでも、上げることでも、祀ることでもないのです。
皆さん自身が、エゴや執着の心を修正した時、初めて、悩みや苦しみから解放されるのです。
それに執着を持っていますと、悩みや苦しみは絶えることはないのです。
自然の中で生きる方法を勉強することが正法です。