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村上宥快和尚さん説法「兄弟姉妹」

村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。

兄弟姉妹

兄弟の中でも、思うような調和が取れない場合があります。

兄弟喧嘩の発端も、挑発行為にこんがらがる方、あるいは挑発される方とあります。

こんがらかるとは – コトバンク

兄弟でも、その条件を辿りますと、様々な材料を醸(かもしだ)す兄弟もいます。

やはり身近にある兄弟が一番こういう条件をたくさん背負い込んでいるのです。

私などはルーズな性分でしたから、勉強も学問も何もしないで、サボり放題にサボっていた少年時代を見ると、そこに反対な兄弟がいました。

私より二つ年上の兄が、ガリ勉というか、試験勉強でも何でも、鉢巻きをして汗を流してしている状態でした。私はその側で、グーグー寝ている方でした。

ちょうど、ウサギとカメみたいなものでした。

兄弟も切磋される条件の中では、お互いに持ち味を持っています。私の場合は、どうにかなる心を持っていましたから、あんまりアクセクしなかったのです。

私は、自分の宿題を姉や兄のせいにしたりして、自分の照れ隠しをしていたのです。

運動会の駆け足では、心臓を悪くしては困ると思うから、あまり駆けなかったのです

後に軍隊へ行き、山登りは速かったのです。背嚢を背負い銃を担いで山登りをするのです。

中隊に百五十名程いる人間の中では、私は首席でした。平らな道を歩くのは苦手なのです。険しい道を歩くのは得意でした。

私は、自分が一本立ちする頃、師匠や親の財産を当てにすることが嫌でした。

私の著書(調和への道)の中でワラの中で寝ていたことを書いていますが、随分、横着な話と思うわれるでしょうが、ワラ屑を押入れの中に一杯入れて、ブタみたいに転がっていたのです。

そんなことがあれば、師匠の所も布団屋の兄弟が三人いましたから、布団の一組くらいは恵んで貰えたのです。

しかし私は、そんなものに寝てたまるかという天邪鬼(あまのじゃく)な心がありました。

兄弟もこのように反省材料を提供してくれ、兄弟の関係は、切磋琢磨をすることです。

身近な人が魂修行の材料を提供してくれるのです。

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この記事を書いた人

村坂 克之

小又接骨院院長です。鍼灸師、柔道整復師の国家資格にて治療を行っています。屋号の小又(こまた)は、先祖の小谷屋亦治郎(亦=又)に由来します。
詳しくは院長略歴をご覧下さい。