村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
祈り
アメリカからはるばる尋ねてきた方がいまして、色々、この世とあの世の条件のお話しをしてあげたのです。
「やはり人間に戦争をする強制をしては、アメリカのブッシュ大統領さんは駄目だ」と言ったら、「いやー、アメリカのブッシュさんは別でしょう」と言われました。
節穴で見ていると、間違えるのです。
やはり、アメリカといえども、日本の経済力を利用するのは間違いです。経済力というものは戦争に使うために、あるのではないのです。
世界人類が平和であるためには、心の目覚めしかないのです。心に目覚めないで、平和でありますようにと言っても、お粗末極まることなのです。
ものに祈りをかける時に、自分自身の心をそっちにおいて、いくらどんなことを祈っても、拝んでも、上げても、通じないのです。
まず、自分自身が平和であるかどうかということを通して、地上界の勉強をしているのです。
平和でありますようにという空の願掛は通じないのです。自分自らの心が調和された条件で祈らなければ、神の心に通じません。
自分の心を正規に戻して、お祈りをして下さい。それが神との対話であるということなのです。
私たちの心願というものは、心の願いです。
これをあの世に通じせしめていくことが大変重要なことなのです。
私たちが、地上界に出てくるには、肉体を提供してくれました方々、肉体を保全した先祖の方々の、努力や恩愛に対しては、報恩供養の心を忘れてはいけません。
報恩供養とは、正法を実践することなのです。
普通は、報恩の供養は心で祈ればよいと考えていますが、私たちが日常生活の中において、自分の心に曇りを作らないようにして、お願いをすることが、神に対する私たちの心でなければなりません。