村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
和尚さんは、月例会や研修会にて、反省禅定の最後に法蓮華僧伽呪と3回唱えられていました。
法蓮華僧伽呪とは南無妙法蓮華経という言菓と同じで天台大師(智顗)が心を調和するための唱題したものである。引用:心と行いP193、村上宥快著
和尚さんの意識は如来界ですから、唱える人の意識の高さが問題なのです。
意識の低い人が唱える「法蓮華僧伽呪」は聞くに堪えません。
どうしても心に響かないです。聞けば、分かる人には分かります。バレます。
法蓮華僧伽呪(ほうれんげんさんがんじゅ)
講演会や研修会にて、反省禅定の最後に法蓮華僧伽呪と唱えますが、私たちの心は、生まれたままの条件では汚れきっているのです。
誰もが、心を磨けば神の意思に通ずるということ、これが法蓮華僧伽呪の意味なのです。
「金剛石も磨かずば」といいます。(金剛石=ダイヤモンド)
私たちの心は磨かないでは使い物にならないのです。使い物になるには、煩悩という心の条件を取り去ることなのです。
釈迦でも、イエスでも、モーゼでも、皆、地上界に生まれ出ると、煩悩の有漏に包まれて、私たち自身が悩み苦しみのカルマを背負っています。
しかし悩み苦しみのカルマを、反省により取り去った時には、意識は、いわゆる神と自分の関連性を自覚できるのだということが、この法蓮華僧伽呪なのです。
だから、私が法蓮華僧伽呪と唱えた時に、調和の心を私に与えてくれますから、それに皆さんの意識を乗せて、自分の次元の世界まで昇っていくということが法蓮華僧伽呪なのです。