村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
想念
想念とは発電能力です。
そうして私たちが、受信機でもあり発信機でもあるという事実がここにあるのです。
テレビの場合は受信機だけなのです。人間は発信機を持っているのです。
その発信機とは想念なのです。この心の働きを、精神、心というのです。
このように受信発信が自由なのが人間だけなのです。
人間の心は、そういうものが含まれているのです。ですから信次先生の教えは多くの条件の中で、自分の心を開拓しなさいということなのです。
制御する条件を持っていれば、人が何と言おうと、いちいち神経をとがらせなくとも間に合うのです。
人間の偉大さを皆さん自身が開拓していくのです。
開拓をしていくことが、自分のエゴの心や執着の心を取り去らなければ、絶対的に、宗教や「宇宙即我」という条件が、自分に適った働きをしてこないのです。
人間は永遠なる生命ですから、今生だけではありません。再び来世という条件があるのです。
六親眷属(ろくしんけんぞく)という本体を中心とする五分身が地上界に出て、様々な環境や境遇を選んで地上界に出てきます。
その都度、親、兄弟、夫婦、嫁姑と、そうした条件の中で、私たちは豊かな心を造り、そうして体得したものを、般若波羅蜜多という神の意識の世界に還元されていくのです。
これが私たちの、地上界に出てくる目的、使命であることが本当の姿なのです。