村上宥快和尚さん(大正7年10月8日〜平成3年3月12日・享年72歳)のお話をまとめました。
自殺について
「不生不滅(ふうしょうふうめつ|ふしょうふめつ)」の自分の心を自覚できなかったから、自ら自分の命を絶ってしまうのです。
肉体に執着があり、死ねば楽になるという間違った考えを持つからです。
絶対に自殺をしてはいけません。死んでも楽にはなりません。もし自殺をしたら、何百年も地獄という暗い世界に居なくてはならないのです。
地上界とは魂の修行の場なのです。肉体というものは、魂、意識の乗り舟なのです。
ところが肉体に執着を持つと、意識をそっちのけにしてしまうのです。生命というのは意識です。現象界では、意識の生命と肉体の生命とが合わさっているのです。
あの世とこの世は、「あ」と「こ」の違いだけで同じなのです。
あの世は意識の世界、この世は肉体の世界です。しかし、この肉体の世界も消滅すると、私たちの意識は向こうの世界へ還るのです。
そうして再び、この世へ出てくるのです。それを転生といいます。転生ということは、転じ生まれる、生まれ変わるということです。
転生輪廻(てんしょうりんね)は仏教の原則です。
過去世から色々な所に生まれ変わり魂の修行をしているのです。
私たちの魂は死ということはないのです。ですから般若心経の中に、「不生不滅」とあるのです。
不生とは、永遠だといっているのです。
ところが、現代の宗教家たちは、「不生不滅」を、何もないと解釈をしているのです。 これは間違いです。
それは、肉体が動いているではないかと思われるでしょうが、本当は、意識が肉体を動かしてるのです。
ある方が、「まったくないようでもない、まったくあるようでもない」といっていますが、理解ができるでしょうか。
今までは般若心経は、ものを否定しているような切ない感情にとらわれますが、そうではないのです。
「色即是空(しきそくぜくう)」の色とは物質なのです。私たちの肉体も物質なのです。空とは意識エネルギーです。
「エネルギー不滅の法則」というのが、物理学上あります。私たちの意識もエネルギーなのです。
宗教も物理も同じなのです。
ところが現代では、肉眼で見たことだけが正しいものと思い込んでいるのです。ですから私たちの意識、心というものは、偉大な働きを持っているのです。
そのことが書いてあるのが般若心経なのです。切なくはないのです。永遠不滅の神理を説いているのです。
意識は永遠であるという自覚を持てば、自殺ということは考えられません。
自殺は、神の意識を具現するべき人間としての、魂の修行を放棄することです。
どうか、万物の霊長である自覚を持たれることをお願いします。
1989年(平成1年)11月21日 高山精舎月例会にて