村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
生き長らえれば幸せか(臓器移植について)
現代の医学では、肉体の支配者が誰かわからないのです。肉体を支配している意識そのものがわからないのです。だから脳死、心臓死というのです。
意識体は、脳だけ、心臓だけの意識体があるでしょうか。脳も心臓も一体になっているのが実情なのです。
肉体と同じく心臓もあれば腎臓もある、膵臓もあれば肝臓もある。私たちは、この世限りでない生命体なのです。
それがわからないので、一方では死を安楽に迎えられる、ホスピスと称する施設に傾倒するのです。災難からどうしたら逃れられるかに目的を絞っているのです。
正法を行えば、それは必要ありません。
自分の心を確立していけば怖くも何ともないのです。怖いということは、肉体が何であるかという条件がわからないからです。
あの世を出てくる時に、母親の体内をコントロールして、胎児の意識を生まれ出る自分が作り出して、その意識が肝臓でも腎臓でも肺臓でも全部作り出すのです。
自分の意識が作り出すのです。このことを勘違いしないで下さい。
現代の医学が、これがわからないのです。心という存在がわからないからなのです。
原子細胞の世界も、意識を正しく持ちこたえて、自分の心の曇りを取り去れば、細胞の集団でも見ることができるのです。顕微鏡よりも遙かに確実で確かなのです。
臓器移植は、双方が自分さえよければという自我意識が非常に強いので、拒否反応を起こすのが当然です。移植をして、一旦は良好な状態になっても絶対に一つになれません。
肉体は、その人だけの与えられたものでありますから、次は違和感というのが出てくるのです。
肝臓を切ったり、貼ったり、腎臓を接いだり、心臓を植え込んだりすることが能ではないのです。ここには、私たちの生命を生き長らえていればよいのだという考えしかありません。
「何ゆえに地上界に生きなければならないか」「人間とは何か」「人間の使命とは何か」「目的とは何か」この疑問があって、初めて正しい意識を発動できるのです。
私たち自身が、死というものがない生命であることを、正法において勉強したならば、ホスピスという施設は必要がないのです。
絶えざる宗教訓練を受けていれば、地上界とはどのような条件であるかが自ら道が開けてくるのです。
私たちの生命はこの世限りではないのだという、はっきりした認識が必要なのです。