村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
殺生(せっしょう)
私が書いた「調和への道」という本の中に、高橋信次先生と海釣りをした記述がありますが、それについて一読者の方から、その時はどのような気持ちで生物(魚)を取ったのかという意味の質問の手紙が来ました。
恐らく正法を実践することと魚を取って食べることとは矛盾していて、どうにも合点がいかないということだったのだと思います。
それには次のような返事を書いて送りました。
「信次先生は、万生万物は、人間がこの世で魂を磨くために与えられたものであり、そのためこの世に生存しているものであるから無駄な殺生をするべきではないと説かれています。
人間は、生きるためには必要なカロリーを取らねばならず、この地上界の魚介類も私たちのためにあるので、魚を取るという殺生も決して無駄にしてはなりません。
信次先生の意識は魚とも話をすることができ、魚介類も人間に供養する心をもって、そのために自分の命を提供することを非常に喜んでいるのです」
供養とは、人が共に養うと書いて、意味はその字の通りです。
「心行」にあるように、万生万物は調和されてこそ供養になるのであり、供養の意味は、まず私たちが魂の修行をすることなのです。