村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
正法と反省
正見(正しく見ること)は、自分の心を神の心である八正道の規範に照らして正しく見ることです。
村上宥快和尚さん説法【八正道の理解と具現】正しく見る(第2回/全11回)
人間の心の中のカルマ(業)は、長い年月をかけて作られたものであり、中には前世で作られたものもあることから、これを見ることは相当な時間がかかるものであり、半年や一年で見極めることはできません。
だから、正法を実践することは忍耐を必要とするものであり、そのうえに立ってこそ進歩があるのです。
「面壁九年(めんぺきくねん)」という達磨大師(だるまだいし)の言葉がありますが、頭の中だけで理解するのではなく、反省の実践によって自分の心の中の曇り(煩悩)を発見し、取り除かなければ駄目なのです。
高橋信次先生の本を何回も読んだから、テープを何回も聞いているからとか、講演を聴いたことがあるから、それで自分のものになっていると思う頭脳プレイでは駄目なのです。
病気や悩みに対しても気がついたならば、神の恵み天上界の計らいとしてありがたく受けとっていくことなのです。
そうすることにより悩みや苦しみが、悩みや苦しみでなくなり、感謝になっていくのです。そして、悟りの境地へとつながっていくことになるのです。
反省をして、自分の心にカルマが芽生えてきたとき、それに気がついたとき、その一つ一つのクセ、例えば腹が立つクセ、我慢をするクセなどを、焦らず怠らずに取り去ることが大事なことであり、それは絶えず自分の心に聞いていくことなのです。