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村上宥快和尚さん説法「仏教の原点に立ち還れ 」

村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。

仏教関連の雑誌や新聞への投稿記事です。

仏教の原点に立ち還れ

私が不思議に思うことは仏教もキリスト教も人間の生命を悟ることを教えたのです。

しかし医学のシンポジウム等で、生命の表現が曖昧で何をいっているのか解からないで何時も幕をおろしています。

仏教は釈迦の教え、キリスト教(弥陀=阿弥陀)の教えで本来生命の実態を説き、どちらも同じことを説いているものであり、宇宙摂理の中で生きているのですが、違った見解を示しています。

仏教の転生輪廻(永遠なる生命)弥陀は無量寿と説いています。どちらも本来修行の過程は全く同じなのですが、儀式的に違っているために異宗教と思っている人びとが多いのであります。

儀式はその土地や気候風土にも生活環境、時代的な風調、その国々の環境思想なども加わり変革されます。根本的に同じ心の在り方もそうした民族的思想などの影響に左右されてしまうこともあって、儀式的に変化を伴うのです。

また宗教は仏祖、キリスト教祖もあの世とこの世の仕組の中で仕組まれていることは、キリストがこの世の肉体を持って誕生し悟るまで、あの世からコントロールして導くのは、あの世の釈迦やモーゼの大指導霊が受け持ちます。

また釈迦がこの世に生を享けると、あの世のキリストやモーゼたちが意識の世界からこの指導を受け持つように仕組まれています。この実理が解ければ宇宙は一つの意識生命であることが、うなずけるはずであります。

人間の生命意識は六人が一組になっていて、この循環によって一人の生命が七、八十年この世で修行するとまた意識の世界生命に還ってあの世で修行することになっています。また五、六十年たつと次の生命がこの世に生まれて修行を始めます。

大体この六人の生命のサイクルは千年前後ですがこれが無限に続くのであります。

この循環を転生輪廻の中で、環境境遇は自分自心が選ぶもので世界中を生れ変り魂(心)の修行によって心の進化を続け無限の修行を続けているのです。

そして私たち万物の霊長である人間大宇宙生命般若波羅蜜多の意志を具現し、この地上の調和、仏国土ユートピアの建設に寄与することになっています。

人間はこの世限りと勝手に限定し肉体の死滅を以って総て終りだと思うことは、殊に近眼視していることに気付かずにおるのです。

色即是空とは物質の原子体、意識の光子体が組合って三次元の生活をしていることを忘れてしまうのです。この世だけだなどと誰が決めたのか、あの世の存在を忘れてこの世は成り立ちません。テレビの理論と次元は違っても同じことです。

受像機のスイッチを入れてチャンネルを合せると、ニュースでもドラマでも見ることができるように、人間が目覚めているとき意識のエネルギーは働き、自からの心の中の想念(発電)活動によって五官器能が働き眼耳鼻舌身意が活動することになります。

こうした働きは霊子線(神と自分を結ぶ意識)を通じ大宇宙意識神霊に記憶されるようになっています。この自覚を得ることができる人を阿羅漢と呼び、この意識を一層調和された人が菩薩とか如来となります。

あの世の段階

あの世意識の世界は神との調和度によって、心の段階は光の量によって必然的に決まるものです。この世のように頭が良い学力やキャリア(経歴)では決してありません。

四次元

あの世の段階を大別すると、四次元の世界は4.0以下を地獄界、4.0以上を天上界、これを四次元の世界を幽界と申しております。

五次元

意識の状態はすべてが自己本位、自分に不利益をもたらしたものには徹底した憎悪をもつ、原因結果を追求する心のゆとりのない世界です。五次元の世界を霊界といいます。

この意識の世界に住む者は損得五分五分の考えで、自分が他人に対してこれだけの事をしたから、それを返してもらう報いを求める心で、仇討など日本人の好みの世界です。

六次元

六次元は縁覚、声聞という仏道を発心する気持ちになり、正法に覚めた心の条件では損得に余り拘泥しない、損害あっても諦めが早い、また利益を得ればよいと考える、人を批難する前に自分の欠点を見い出し反省し己の心を修正する世界です。

その頂点は不動明王や摩利子天、大黒天、稲荷大明神、八大龍王がいる世界に住するのです。

七次元

七次元の世界を菩薩界といいます。利害に左右されない、自分より他を優先します。人々の喜びを見て己の喜びとし、人々の苦を救う。人々の意識と自分の意識の関連を自覚し、オーラーは達磨形である。慈悲の心、愛の心の持主です。

八次元

八次元の世界は、大宇宙意識の世界に通じ、万象万物の意識と不離一体となることを体得、地上界天上界宇宙即我の自覚調和を得た心如来の世界光は大きく舟底形に光っています。

人間の生命を無自覚にしたのは、釈迦如来や阿弥陀如来の教えを忘れ、宗祖や教祖の教えの枝葉末節に捉われ宗教の本質を見失なったことが宗教の退廃を来したものなのです。宗教とは学理論や哲学でなく、日常生活の中の心の調和です。

やたらに宗教学校、ことに大学に於ては宗教の核心から遊離しています。宗教を霊的現象に捉われたマスコミ等による誤解も甚だしいものです。

八正道

仏法は釈迦の正法、生老病死の原点に立還り、四諦八正道の懺悔から出発することです。

  1. 【正見】正しく見る:まず自己内心のエゴ、ねたみ・恨み・そしり・愚痴・怒り・闘争・葛藤・貪欲などの執着心の修正から始めなければなりません。
  2. 【正思】正しく思う:エゴ執着の心を遊離した心で、即ち慈悲と愛の心で見ると同時に行いに結んで行くのです。
  3. 【正語】正しく語る:言葉は言魂です。私たちの言葉は自己を確め人間同志の意志の疎通を画り神のこころに記憶されます。人類の調和を計る第一の機関です。
  4. 【正業】正しく仕事をする:仕事は人間奉仕を通じて、衣食住を充たす根本的な生活源泉である調和と誠実を旨とします。
  5. 【正命】正しく生きる:慈悲と愛の日常は、生命を保持するには必須の善良なる条件でなければなりません。
  6. 【正進】正しく精進する:人間関係の調和は己の心を調和することに始まります。親子兄弟、夫婦、嫁姑、隣人、友人、社会人は意識オープンのあの世で仕組んだものです。この世はその復習の世界です。
  7. 【正念】正しく念ずる:宇宙は一つの生命体です。誰が脱落しても我身にかかるものです。共に喜び共に悲しむ心が必要です。
  8. 【正定】正しく反省をする:以上の七つの軌範に違背することなく踏み行ったでしょうか。一日終ってこの反省をすると共に心の調和を画ります。

違背とは – コトバンク

この記事を書いた人

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村坂 克之

小又接骨院・鍼灸院の院長です。柔道整復師、鍼灸師の国家資格にて施術を行っています。屋号の小又(こまた)は、先祖の小谷屋亦治郎(亦=又)に由来します。親指シフトユーザー。
詳しくは院長略歴をご覧下さい。