村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
あの世は精妙
人間の心の価値観は、精妙な心であれば、どんなところにも浸透するのです。
浸透するから分かるです。物質界の垢や煩悩の心では、その世界には入れないのです。
この世で、人と喧嘩をする、人と不調和な考え方を起こすことは正法に適っていません。正法は、いかに自分の心が精妙になるかが問題なのです。
キリスト教のバイブルに、「ラクダに乗って針の穴を潜る」という譬えがあります。人間の心も精妙になってきますと、あの世でもどこでも心で入れるのです。
自分の頭だけで、こう聞いたからこうなんだと合点をしますと、段々スモッグ(心の曇り)が多くなり、精妙な世界には入れません。
正法は、心の精妙な精緻な条件なのです。九次元という世界に入るには、自分たちの心を、精妙にしなければ、正しいあの世の存在を見ることはできません。
地獄界へ行くことは簡単です。自分の思う通り、エゴや執着という心を持ち、色、なことを考え思えば入れます。
地獄界からこの世に生まれ出てこられません。
一旦、天上界に還ってからでないと、私たちの転生という関門を通ることはできないのです。
心で思ったこと、ものを感じたこと、ものを作ったこと、あの世に還ってからは、自分たちが思ったことは、即、現象化されることと同じになるのです。
例えば、人を憎むという条件になると、憎んで相手を八つ裂きにしても足りない、あるいは心の中で、相手が憎らしい心を持った時に、実在界では現象が出ているのです。
そうして、その心でいますと、天上界に入れないのです。地獄を低迷しています。
あの世は精妙な世界、精緻な世界であるのです。心がスモッグ状態では、とても感知できない世界なのです。
反省や禅定を通して、自分の心を精妙にしていくのです。
精妙にしても、天上界があれば地獄界もあるのです。これは誰が作るかというと自分自身が作るのです。