村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
母性を失う現代女性
ある家庭の事情がありました。
ご主人が財布を握っていて、「いくら欲しいのだ」「おやつ買うのか、いくら欲しいのだ」こんなことやっているのです。これは本当にバカ親父です。
それで良いつもりでいるのです。そうして自分の趣味や嗜好に費やしているのです。経済を奥さんに任せられないのは男女の役割を忘れた愚行です。
女性とは身近な配分をすることが使命なのです。
現代は、男と一緒になって表に出るから、アレルギー、ノイローゼ、情緒不安定というものが出てくるのです。
女性と男性の、感情の使い方がありますが、女性は身近なことに対して、子供を育てるということ、身近な細かい心の働きを持っている特異性があります。
現在、特異性の中でも、育児ノイローゼになるのは本能の欠如なのです。
知性や理性のみ先行して、本能を失っているのです。男性と平等であるというので、格闘競技までやるのですから。
母性を育むことを子供の教育に用いなければなりません。
だから女性の場合は、格闘競技などは必要ありません。世の中は、男になんぞ負けてたまるかという心を持っている人が多いのです。
女性が社会に出ると、非常に気が荒くなってくるのです。
育児本能が無くなってきています。おむつはどうして取り替えたらよいのか、お乳はどうしてあげればよいのか迷っています。昔は、そうではありませんでした。
ちょいと来てお乳を出して、子供たちの口にそそぎ込んであげられるのです。それでも結構、親と子の関連性がしっかり取れていました。
今のお母さんたちは子供が泣くのもわからなくなっています。子供のおむつが濡れているとか、お腹が空いたとか、親の心が不安定になっている時、子供が泣くのです。
昔は、育児の勉強はしないのです。勉強をしなくとも本能的にわかってくるのです。今のお母さんたちはそれがわからないのです。
どうして、いけないかというと、現在は女性の方々も勉強します。すると、本能が、感情、知性、理性に押しまくられてしまうのです。
そうなりますと女性には、育児本能がなくなり、子供を育てるのに意気地がなくなるのです。
ですから、女性本能がないのです。格闘競技でも、柔道を見ていると実に凄まじいです。相手に食らいついてやろうかと考えているのですから。
世の中がアレルギー症状や、ノイローゼ症状や、情緒不安定が出てくるのは、女性本能が失われた大きな穴があるのです。この大きな穴を二十一世紀には埋めなければならないのです。
既にアメリカでは、このことに気がつき始めています。
日本では今のところないのです。表へ出て働け、働けといっています。あれはイデオロギーの強い人たちが扇動して、女性を表へ引っ張り出すのです。
政治の条件も、客観的な大きな環境を持っています。ですから男性は、客観情勢を掴むことは女性より優っていたのです。
ところが、この頃は女性だか男性だかわからない人間が多くなってきました。これは、女性と男性の本質を見失っているからです。
これは、大きな問題なのです。表へ出て、男に負けないで働く条件になると、おかしくなってくるのです。
意識は、あの世で女性は三十三才、男性は四十二才なのです。また、この世に出てきて、不惑の条件になるのが、女性は三十三才、男性は四十二才です。
確かに、男が束になってかかってもかなわない女性も中にはいますが、不惑の条件では、意識の差が歴然とあるのです。
これは、女性が子供を育てるために、必要な条件なのです。
子供を産むことは、人間の魂が転生輪廻の過程において、多くの体験性を持たなければならいのです。体験性を持たない人、が、地上界では女性も働くといっているのです。
女性が駅長に、本庁の課長になったと聞きますが、殊更に取り上げているマスコミが多くなってきたのです。
神理の条件からすると恐ろしい時代なのです。
格闘競技、あるいは運動といった一つの競技の中で、戦うことだけを標榜している女性は、育児本能、あるいは女性本能という優しさというものがないのです。
二十一世紀は、正しい方向へ逆戻りをしなければならないのです。