村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
不動心を養う
一つの事なかれで生きていくことが、正法ではないのです。難や苦というものから逃げて生活をするのが、正法ではないのです。
正法を求めるには、様々な難儀や苦行というものがあるのです。それを通らなければ神理を本当に理解することができないのです。
多くの人びとは正法に巡り合うと、自分は病気をしない、災難を避けられると思っていますが、そのようなご利益目的で来てはいけないのです。
どんな難関にも遭遇しても乗り越えていく、智慧と勇気を持たなければなりません。
それゆえに、「右の頬を打たれれば左も出す」という、忍苦や忍耐を養わなければならないのです。
安逸を貪りたいという臆病の心を、自分で超越しなければなりません。
臆病心を反省の中で、乗り越えなければなりませんし、様々な難関に立っても、毅然とした心の生き方をしていくのです。
一般では、家内安全、商売繁盛を考えますが、このことのみに正法を受け取ってはならないのです。
不動の心こそが、自己確立であるのです。
そのことが、二十一世紀に向かっての、心のあり方でなければならないのです。
安逸を貪るために、経済、物質が与えられたのではないのです。この辺を考え直し、生活の進化を求めて勉強をしなければならないのです。
生活の中で、心の磨き方を一層難儀をすると思いますし、恐怖にかかわるようなこともあるのです。
その時、逃げてはなりません。いずれ修行が終われば、あの世へ還らなくてはならないのです。
あの世に、智慧と勇気を持って還らなければなりません。それが神への報告書なのです。
どんな難関でも苦寒でも打ち克ち、ここを通り抜けなければなりません。
もう二十一世紀は、指呼の間(しこのかん)にあるのです。
自分たちが、事なかれ主義、いわゆる問題が起きてくると逃げようとする心では、正法を勝ち得ることはできません。
※注釈※
- 【不動心/ふどうしん】他によって動かされることのない心。動揺することのない精神。
- 【忍苦/にんく】苦しみを耐えしのぶこと。苦痛に耐えること。
- 【安逸/あんいつ】気楽に過ごすこと。何もせずに、ぶらぶらと遊び暮らすこと。また、そのさま。
- 【苦寒/くかん】ひどい貧乏のために苦しむこと。
- 【指呼の間/しこのかん】指差して呼べば答えが返って来る程度の距離のこと。