村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
心と法を普遍化する
私たちが、心の存在を地上界に、具現しなければならないのです。
具現しなければならないのに、安閑としていたのではいけません。本当に心というものを知り、多くの人びとに、具現していくのです。いわゆる、これを文化というのです。
文化とは、心と法というものを普遍化していくことをいいます。本当の文化や文明は、そういうものなのです。ただ、文化財とか、何千年前の墓を掘り起こすことが文化でも何でもないのです。
なぜ、あのことが文化、文明なのでしょう。心の中で、問うてみればわかることなのです。
九州の北部の吉野ヶ里という場所があります。邪馬台国というのは、大和の方だとか、九州だとか、何箇所もあるといっていますが、吉野ヶ里が本命です。
卑弥呼が、どういう条件で日本を支配していたかは、同じ時代の文化文明を中国に照らしてみると、誠にほったて小屋の、お粗末な文化・文明だったのです。
そういう点では、中国やヨーロッパでは、中期の文明時代のローマ時代から、発展をしてきたのです。
ところが、日本は、誠に遅かったのです。しかし、現代は、自然の法則が巡り巡って、地上界の条件となっています。