村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
ホームページの特性から箇条書きにしています。
宥快和尚さんの和歌
- 法燈
諸人の 心に灯す 法の火は 慈悲と愛との 心なりけり -
心塵を払う
法燈は 神の光の 証なり いざや心の 塵を払わん -
神の光
天津日を つらぬき照らす 光をば 神の心と たたえまつらむ -
調和の道
ひたすらに 神の恵みは 極みなし 我ら歩まん 調和への道 -
煩悩即菩提
さまよいし 心の果てに ほのぼのと 法の光は 輝きにけり
高橋信次先生の和歌
- いくとせか 求めし道は 遠かりし 悟れば光 我が心なり
- 法灯の 光は消えて いくひさし 初日の如く 今は輝く
- めぐり来る 初春楽し 今朝の夢 光輝く 友の姿が
- 正道の 光に満ちて 目覚めたり 年たちかえる 元朝の夢
- 年を経て 心の道に 迷いなば 法をたよりに 正道を行く
- 苦しくも 楽しきことも 世のならい 滅して悟り 神の光が(我が心なり)
- 神仏の 光求めて 幾星霜 悟れば仏 我が心なり
- 光背に 包まれ生きる 安らぎを ともに与えん 病める諸人
- 暖かき 陽ざしのごとく へだてなく 己が慈愛を 友に施こせ
- 原説の 般若の教え 心あり 行じる道に 法のともしび
- 諸人の 心の舟は 老ゆれども 真理の道は 波しづかなり
- 苦しきも 楽しくもあり 人生の とわにかはらぬ 転生の葦
俳句について
宥快和尚さんは、一時、俳句を嗜まれて、山口市の「無暦庵」の同人として、同人誌「無暦」に投稿されていました。俳号を「幻耳」といいました。
「幻耳」は、幼少の頃、中耳炎を患い片耳が聞こえなくなったが由来だそうです。
しかし俳句は、言葉をもてあそぶので、心が荒んで来ることを体験されました。松尾芭蕉の俳句をみても、人生の最期になるにつれて非常に荒んできています。
それ以後、俳句を嗜まれることは止められました。