村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
色情も一つの魔
戦争が終り平和が到来すると、性の乱れが世情を覆うようになるのです。
この世の中が紊乱(びんらん)しているのは、ただ興味本位のみに走っているから、男女間の様々な葛藤が続出します。
やはり男性は戦いということに囚われ、女性は性の乱れということが、現在の社会の状態であります。
これは由々しい問題なのです。
現代は勝手に性的本能という勝手な因を結んで、他の人々と密通するために安らぎや安定性が出ないのです。
至る所に私たちの生活を侵しているのです。
そうして性欲を楽しむことばかり考えているのです。性欲を楽しむことは本能の一部分なのです。
今後、二十一世紀になってきたならば、こういう心から私たちは足を洗わなければならないのです。
色情も一つの魔なのです。
色情という情熱も、やたらに発展をしてはならないのです。
自分の理性、知性によってコントロールをしていかなければなりません。
本来、男性と女性の間は、プラトニック(純潔で精神的な恋愛)でなければいけないのです。
そうでないと、肉体を存続させるカルマが伝承されるからです。このことが一番重要な問題なのです。
やがて私たちは、肉体を再び貰って地上界に出てこなくてはならないのです。
ただ放縦に任せてはいけないのです。
前世にも、色情という問題が私たちの心の中で様々な働きをし、いろいろな体験をしているのです。
現代の性教育は原点を教えていません。性とは、身体が大きくなったから一人前になったからという単純なものの考え方しかしていません。
それは、「人間とは何か」「人間の使命とは何か」という、人間の肉体はどんな作用をしてどんな働きをしていかなければならないのか、人間の使命と目的や確固たる条件を、人の心に植えつけることが必要なのです。
小学生でも身体が大きくなったから一人前という、現在の性教育では全く不完全なのです。