村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
「エネルギーが神である」
地上界の体験的な問題を通して、私たちの心は永遠性を持っているのです。
その体験により、私たちの潜在意識の世界を仏教では般若波羅密多と呼んでいます。
私たちの意識はこの世限りではありません。
魂の仕組みは、六親眷属(ろくしんけんぞく)という、本体を中心とした五人の分身の条件を持っています。生命は、全て単体で存立するものはありません。
マクロ(極大)の世界は、太陽にしても、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星、こういう惑星が循環を続けて、お互いの引力により、自転公転を続けているのです。
また、ミクロ(極微)の世界においても、原子の核と分子が回転運動をしながら、物質形態を作り上げております。例えば金の場合も、一つの核に対して約八十の分子を持っています。
このように宗教の世界も、物理科学の世界も、大宇宙の摂理を究明する条件であることを体験をしていくのです。
二十世紀までは経済と物質のみでありました。
「二十一世紀は心の時代」です。心は神の意識に通じていますから神とは大宇宙の意識です。
これは、肉眼や肉耳では聴聞(ちょうもん)することができません。
できなくとも、現実として、私たちは体験を通して自分自身が自覚をしていくのです。
口絵の太陽の写真(ご著書:心と行い、調和への道にあります)は、太陽を貫いて来るところの光で六角の光です。
これが大宇宙を支配している意識・エネルギーです。
エネルギーは仕事を成し得る能力です。エネルギーがあればこそ、太陽が自転公転し、月が自転公転をし、地球が自転公転をして、その中で春夏秋冬が、地球上で感じることができるのです。
地球の中でも春夏秋冬という条件があると、意識の発展過程が一番高い世界なのです。
中には夏と冬しかない所があります。そこでは慈悲や愛という心は培うことができません。
私たちは、こうした温暖の地で勉強ができることは、神の慈悲や愛というものを受けているのです。
エネルギーそのものが神なのです。
エネルギーの世界は、肉眼で感知することはできません。
私たちは心という、大宇宙から与えられた生命を調和して、垣間見覗くことができるのです。
この条件が座禅なのです。
座禅ということは、静かに自分の心を調和して、宇宙の摂理を見極めていくことが座禅なのでキリスト教においては告解(こっかい)を告げるとか、あるいは懺悔(ざんげ)というように呼んでおります。
懺悔ということは、自分の心を調和して、心の曇りである煩悩という曇りを取り去れば、あの世の存在や、人間と大宇宙の生命のつながりを自覚することができるのです。