村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
「肉体と医学」
肉体を保存するためには、動物・植物・鉱物のエネルギーが必要ですが、心は物質のエネルギーだけでは維持できないのです。
現在、医学界でも、なぜ眠るのかということも知らないのです。
心のエネルギーは眠っている時に、あの世で補給してくるのです。
眠るということは、私たちの意識は肉体から離れて必然的に、次元の越えたあの世という世界へ還ります。あの世へ還って、神経や精神に使うエネルギーを補給してくるのです。
ですから寝不足をすると、あほだら経をやってしまうのです。
あの世で神様から与えられた、神経や精神に使うエネルギーがなければ、人間の生存や生活ができないのです。
あの世に還って神様から、熱、光、磁気、電気、重力というエネルギーを補給してくるのです。そうして満タンになったら、ポッカリと目を覚ますようなっているのです。
現代の教育では、滋養のあるものを取っていれば大丈夫だといっていますが、心の栄養を考えない生活は駄目なのです。
それゆえに現代医学にも、多くの疑問を持たなければなりません。心臓死、あるいは脳死という個別のものはないのです。
脳、心臓、五官など各諸器官を作動している意識の世界があるのです。それは肉体以外の心が共存している証左であり、現在の医学においては、なぜ眠るのかもわかっていません。
夜眠りますと、耳の穴が開いていても聞こえず、鼻の穴が開いていても匂いません。
脳細胞が記憶装置でしたら、眠っている時でも、ものを感じ、匂いを嗅ぐ記憶があるはずです。記憶がないのは、心というエネルギーが五官機能の働きを司っているのです。
元来、肉体と精神という心が共存して生きています。精神という心は大宇宙の意識に通じています。
肉体は魂の乗り舟であります。魂が船頭とすれば肉体は船です。
肉体は物に例えたらテレビの受像機です。私たちには神様という意識の放送局があります。
神経は神様のエネルギーの通り道です。それゆえに、心を昔から、神の精、すなわち精神というのです。
テレビの受像機に等しい、肉体に問うて生活をしていると多くの過ちをもたらすのです。多くの過ちをもたらすことは、肉体が死んでしまうと全部終わりだという考え方です。
しかし私たちの心が、受信機でもあり発信機でもあるという事実がここにあります。テレビの場合は受信機だけです。人間は発信機を持っているのです。
その発信機とは想念です。この心の働きを、精神、心というのです。
自分の心の働きは、「悟」といいます。
「りっしんべん」に
「われ」と
書いてあるのが吾が心なのです。
字が表すように神の精なのです。
ですから、私たちの心に、あの世から通信されるのです。
「吾」という字は、味覚、臭覚、視覚、聴覚、触覚という条件のもと、私たちの意識の働きを行い、又、神経という、味覚神経、臭覚神経、視覚神経、聴覚神経、触覚神経、この五官機能により様々な体験したものを、再び逆に、意思からあの世に通じていくのです。
そうして、意識の記憶装置である神の意識に変わっていくのです。
このように受信、発信が自由なのが人間だけなのです。人間の心は、そういうものが含まれているのです。
ですから信次先生の教えは、多くの条件の中で自分の心を開拓しなさいということなのです。