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村上宥快和尚さん説法「正法宣揚の誓い」

村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。

「正法宣揚の誓い」

心行の末尾に、「末法万年の神理なることを悟り日々の生活の師とすべし」とありますが、正法に対し、あの世において重大なる使命を帯びてきました私たちのグループは、今こうして神の心を心の中に刻み、心行を心の糧として、あの世の使命を果たさんと出発をいたします。

これを昔は立教開宗と申しました。立教開宗は一つの宗派でなくてはなりませんが、しかし私たちは、もっと不変的な問題を旗印としまして、今ここに本年を期して正法の第一歩を演ずるわけです。こうして正しい心の中で、私たちのいくべき道がはっきりと明示されてきました。

「正しく見る」ことを通し、長い年月私たちが自分の心を見てきた結果、この大命があったことを、今更ながら大きな胸のふくらみと共に受け止め、このことを一人でも多くの人々に会い伝えていくことを実践しなければならない、任務の重大さを私たちは知らなければなりません。

こうした問題を私たちが実践するには、心行を中心とした信次先生の教えを勉強し、そして私たちの日々の生活の中に活かしていねばなりません。

私は1968年(昭和43年)8月から、高橋信次先生の神理を聴聞いたしました。

それと同時に私たちは、正法を実践していくグループである新たな覚悟と勇気を持ち、余りある人生を一人でも多くの人々、やがては人類のために、立教開宗ではなく正法に還元するものです。

正法に還元することとは、既に八正道の教えは今から2500有余年前に、地上界においてお釈迦様が説かれたことです。

ゆえに立教開宗などと私どもは申し上げませんが、私たちが「佛陀に帰依し奉り四諦八正道の教えに則り」とある、調和と安らぎの岸に(根源に)渡っていくことなのです。

調和と安らぎの条件の中で、偉大なる使命を頂いたことを皆さんは心に受け止め、神の御姿と共に、神の教えを具現しなければなりません。今更ながら重大なる使命を痛感いたします。

しかも、観音寺という殿堂を実在界より与えられまして、今後はここを起点とし釈迦如来の教えである四諦八正道を、私たちは日々の生活の中に取り入れながら、人の心に法灯を灯していかねばなりません。

人の心に法灯を灯すことは、まず皆さん自身が自分の心に法灯を灯さなければ、どうして人々の心に法灯を灯せるのでしょうか。それには八正道を自分の心で理解し、心行を実践していかねばなりません。

これが末法万年の神理であることを、私たちは心の中で(潜在意識の中で)取り決めてきたのです。取り決めをしたのは皆さん自身であり他人ではありません。皆さん自身が神に誓い、自分の心に誓って、この地上界の魂の乗り舟を頂戴してきたのです。

八正道

正しく見る

正しく見るとは、私たちが既にあの世において約束したことを実現することです。決して、自分を卑下したり、あるいは誇張したりせずに。一歩一歩この正法を実践し、そして光の塊となって神の意志を具現していくのです。

正しく思う

正しく思うとは、自分の心に、いつも正法という心掛けを作って置くのです。

正しく語る

正しく語るとは、正法を実践して初めて人々の心に正しく語りかけることができます。

正しく仕事をする

正しく仕事をするとは、神の意志を全ての人類の隅々まで押し進めていく、これが正しい仕事であります。正しい仕事とは、私たちが神から与えられた課題であります。

正しく生活する(正しく生きる)

正しく生活するとは、神の意志を体して自分の生活を省みることです。従って私たちは、正しい生活そのものを日々の心掛けとしていかなければなりません。

正しく精進をする

正しく精進をするとは、自分の心を調えることです。自分の心を調えれば、必ず人々との調和が取れるのです。自分が調和せずして、どうして人の心に調和の精進ができるかということです。

正しく念ずる

正しく念ずるとは、神に誓って、この道を具現していくことです。

正しく定に入る

最後に、この七つのに題について毎日反省をして、自分が正法の実践に則っているか則っていないか、反省するのです。

これらは、私たちの毎日の生活の中で永遠に続くのです。又、現在この宗教が末法と化したことは、これらの実践を忘れ去った結果です。

忘れ去ったものを再び具現することは、非常に難しいのですが、私たちはこの難しさを乗り越えて神の意識に通ずる道を、切り開いていかねばなりません。

今までは仏像を拝んだり、あるいは十字架を祀ったりすることが、宗教のように考えられてきましたが、そんなものではありません。

もっと身近な自分の心の中から神の心に通じていくこと、これが本来の宗教であり、段々と具現化されてきますと、職場や生活、あらゆるものに正法が循環されてきます。この循環が無我の法則です。

無我の法則とは、いわゆる三宝印(さんぽういん)・諸行無常(しょぎょうむじょう)・諸法無我(しょほうむが)・涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)という境地を私たち自ら体験していくことです。それには、一人一人の心の中を、何時でも即応体制に持って行ける条件を具備しなければなりません。

しかし、高橋信次先生の教えを聞かれた人は数多くいましたが、こうして神の御姿を与えられたのは、私たちのグループだけです。それは私たちが実践をすることにウェイトを掛けて、組織を作るでもなく、今日に至ったからです。

何故組織を作らないのかは、全ての人類が実践をしなければならない問題だからです。

このことを、皆さんは良く承知して、立教開宗という言葉は使わなくとも、正法に還ろう、釈尊の教えに還ろう、その釈尊の教えを、再びこの地上界に具現した高橋信次先生の教えに還ろう、つまり四諦八正道すなわち苦集滅道という、生老病死の問題を説かれたお釈迦様の教えに還ることです。
 
又、この世を娑婆といい、娑婆の苦といいますが、苦の原点となるのは生老病死です。

この生老病死は私たちの肉体的な現象であって、心の現象ではありません。肉体の現象としての苦が何であるかという問題を、私たちは今後説いていかねばなりません。

現代の宗教は、生老病死の生を忘れています。なぜ忘れているのかは、生まれ出てくるのは当たり前であると教えているからです。

しかし生老病死の中でも、生とは最も重要な、魂を磨きに出てきていることですから、この問題を私たち自身が良く理解し、信次先生の教えである「私たちは神との約束により天上界より両親を縁としてこの地上界に生まれ出て参りました」ということを理解すれば、この世限りだ、一度の人生だ、などと誤った考えは出てこないはずです。

仏教の中に三宝印という言葉があります。この三宝印とは大宇宙の柱であります、ところが現代の宗教界はこの三宝印を説く一方で、転生輪廻など無いといっています。

しかし私たちが、心を踏まえてみますと、前世のなし崩しや、あるいは前世でさまざまな正法を学んできた、それらのことが深い反省の中において、般若波羅蜜多(パニャーパラミタ)の中から理解することができます。

従いまして生老病死の生が抜けては、地上界に生まれ出てきた甲斐がありません。

こうした問題を私は長い年月追求してきましたが、ようやく仏教の全てを理解できることは、恩師高橋信次先生のおかげだと、いつも感謝をしています。

先生がこの世を去られてから昭和60年の6月25日で9年の月日が流れました。こうして反省をしていますと、先生の緊密なる教えが自分の心の中に甦ってきます。その甦ってくるとは、涅槃経の中で、こういわれています。

涅槃経とはお釈迦様があの世に帰られるときに、弟子の一人であるアニルッタが、世尊がこの世を去られた後、私たちはどうして生きたらよいのでしょうか、といわれました。

その時に世尊すなわちお釈迦様は、「お前たちに授けた法があるだろう、この法によって自分の心を切り開けば、貴方がたの心の中に何時でも私は生きているのだ」といわれましたが、この言葉がことさらながら身近に感じることは、私ばかりでなく皆さんも同じことです。それは皆さんの心を紐解いた時に、この環境が出てきます。

お釈迦様といえば古いものに感じられますが、しかし私たちは今生において再び、釈迦の再来であられる高橋信次先生の教えに接することができたのです。

信次先生は苦集滅道・生老病死の問題を滅する道は、四諦八正道であることを明記されています。

このことは、かつてインドのクシナガラにおいて、あるいはあのギリシヤ、あるいはインカ帝国、あるいはアトランティスの転生輪廻の中において、潜在意識を作りあげてきたものです。

その潜在意識を掘り当てるには反省以外にはないのです。そして心の曇りを作らないことです。作ったらすぐに神仏に詫びて、その心の修正をするのです。

この実情をどうか皆さんが忘れないように、四諦八正道すなわち生老病死の問題をきっかけに、その中から悟という、つまり生老病死が無かったら、私たちはこの世に生まれ出てくる必要はさらさら無いのです。

こうして正法神理を、今生、そして来世に、再来世に、永遠に、具体的に自分の心の中に刻んで、私たちは一日の願掛け、あるいは今生の願掛けでは無く、この願いを永遠に持続していくことを、ここに皆様と共にこの重大なる意識の中で、具現しようとしています。

今年はこのようなことを「起」として、なぜ今年を選んだのかと申しますと、去年は私の波動があまり良くなかったために神からこのようなことを与えられませんでしたので、観音寺の建築をして、今年を「起」としていたからです。従いまして私たちにとって今年は、決して忘れてはならない年です。

この偉大なる使命を受けて、これから正法神理を多くの人々に伝えて行く重大なる使命を、何度も申し上げますが、私たちはこの命を帯びて地上界に出てきたのです。

私も、こんな重大な問題が自分に掛かっているなどとは、さらさらこの世に生を受けてから考えたことも無かったのです。

これは先生があの世にお還りになる前後に、この問題が自分たちの問題であることを、先生からお聞きいたしまして、今ここにようやく先生の御意志を具現出来る状態になってきました。

私も既にこの道を求めて50年になります。50年と申しますと以前ではもう人生が終わろうとしています。

終わろうとしている私か、この時期に、正法を引き提げてこれら問題を解決していかなければなりません。そのためにも大きな覚悟を持ってこれに臨んでいます。

それには、正法宣揚の誓い「我等佛陀に帰依し奉り、四諦八正道に則り調和と安らぎの集と為さん」を旗印として、実践に臨んでいます。

皆さんもこの様な一つの旗印を持ち、「仏教の原点に還ろう」という、スローガンを持って実践に臨んで頂きたいと思います。

そして私はここに「調和への道」という一冊のささやかなる著書ですが、これが完成したのは、全て先生の意志どおりに、今迄やってきたことが実を結んだのです。
 
どうか皆さんも、これを「起」として、御自分の心の中を常に監視し、そして神の心を具現していくことを、一日一時たりとも忘れてはならないことを知って頂きたいと思います。

本当にこの意義ある1985年(昭和60年)、この年を境として、正法を具現することを、皆様と共に天上界の先生を始め神への誓いを持つ次第です。

1985年(昭和60年)元旦  観音寺精舎にて

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村坂 克之

小又接骨院・鍼灸院の院長です。鍼師、灸師、柔道整復師の国家資格にて治療を行っています。屋号の小又(こまた)は、先祖の小谷屋亦治郎(亦=又)に由来します。親指シフトユーザー。
詳しくは院長略歴をご覧下さい。