村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
「宗教は心を教えている」
「二十一世紀は心の時代」と言われていますが、現代は、「心の存在」の確かめ方がわからないのです。
自分の心とは、一体何か。五尺(150センチ)の肉体だけで私たちの意識を作り上げていると思っているのが現代の宗教観です。
つまり人生は、この世限りという考えです。
こうなりますと、この世に出てくる目的が肉体のみに傾倒するので、私たちの心の存在を忘れてしまうのです。
それは、自分の生活だけが享楽を受ければ良いという誤った考え方を持ってしまいます。
人々は今まで、神様は他に存在するものとして、仏像や神様、あるいは十字架というものを祀り拝んで来た歴史があります。
その上、宗教は、お経を上げる、拝む、あるいは仏像やクロスを祀るという形態に変わってしまいました。
仏教にある般若心経の、色即是空、空即是色とは、全くないようでもない、全くあるようでもない、あると思えばない、ないと思えばある、と解釈され、これで私たちが納得できるのでしうか。
本来、経文とは心の在り方を書いてあるのです。上げたり拝むものではなく、行うものなのです。
宗教とは、宇宙の摂理の中で、生きている自分を自覚することなのです。宗教という宗の意味は、宇宙を示す教えということです。
ですから、
「うかんむり」
「示す」
「教え」
と書くのです。
お釈迦様や阿弥陀様は心を教えたのです。「心の存在」を確かめる方法を教えたのです。
仏像を拝め、神を祀れ、お経を上げよ、とは言っていないのです。
釈迦如来(お釈迦様)の再来であられる高橋信次先生が、前世のことや、大宇宙の無限の生命体であることを全部自覚されて、私たちに教えてくれました。
先生の教えは、仏教の原点である四諦八正道を実践することです。
四諦とは苦集滅道を、八正道とは、正見、正思、正語、正業、正命、正進、正念、正定をさします。
私たちの心は、煩悩という曇りを持っているために自分自身だけだと思っています。
八正道を実践し、自分の心の欠点や執着を取り除けば、神の意識に通じるようになっているのが私たちの偉大なる心なのです。
神の心と自分の心が、疎通している自覚を持つことが宗教なのです。
それゆえに、心に自覚を持ち、心を通して大宇宙の意識、すなわち「宇宙即我」という条件を目指して魂の進化をはかっていくことが私たち人間の真の教えなのです。
私たちの心は神の入口です。
大宇宙の意識に通じている心の存在を神様と呼でいます。仏教には神様がないといっていますが、神様の心に到達された人、これを仏というのです。
今までは、古い仏像だとか、お曼陀羅だとか、あるいは十字架というものを拝んで来ましたが、これからは対象となるものは自分の心なのです。
ですから高橋信次先生の教えを、私たち「心のつどい」は体得していかなければなりません。