村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
【心のつどい=和尚さん主催の心の勉強会】東京、静岡、富山、飛騨高山、福島、大分?で勉強会、研修会、講演がありました。現在は飛騨高山の仲間で教えを護持伝承しています。
高橋信次先生と私(村上宥快和尚さん)
夏の心のつどい高山研修会も終わり一段落したところです。また、近く10月には東京での秋の研修会が始まります。
まだ高橋信次先生の神理正法が理解されない面もありますが、先生が命がけで正法を説かれたにもかかわらず、聞いている方は、ただ漠然として先生の神理を聞いていたようです。
それは、霊的な現象に魅せられて、信次先生の教えを掌握しなかったのです。信次先生の正法ほど確かなもので、偉大なものはないのです。実践のない神理正法は、抜け殼に等しい条件なのです。
現代の宗教は、自力と他力の二つに分かれています。今までの信仰形態は全部他力になっています。これはお釈迦様の正法を聞いていながら、だんだん正法に遠くなったことを末法といいます。
末法とは、いわゆる心の無い条件です。心を見失った条件です。
確かに信次先生の教えは素晴らしかったのですが、皆さん霊的な現象のみを追ってしまい、自分の心に焦点をあて、そして自分のエゴと執着を取り去ることを蔑ろにしていたのです。
どこまで行っても、自分の心に焦点を当てるのが、信次先生の本当の教えなのです。
私どもが最初に信次先生の教えを乞うたのは、先生がお悟りになられる約1年余り前になります。ちょうど1967年(昭和42年)1月だったと思います。信次先生が偉大なる悟りに到達されたのは1968年(昭和43年)7月ですので、ちょうど1年半になります。
私は、四諦八正道という言葉を先生にお会いする前から知っていました。しかし、ただ名目だけで、現代の宗教が生老病死、あるいは転生輪廻という実情がわからないままに、この問題が私の心に深く刻みつけられたのです。
先生がお悟りになって、まず八正道が生老病死の原点であり、人間の心であると説かれたのであります。なぜ地上界に生まれてきたのかという理由を掌握できるのです。そして先生がお悟りになられた本当の正法であり、仏教の根源であることがわかったのです。
この根源、即ち先生の心とは、パニヤーパラミター(般若波羅蜜多)であり、いわゆるいかなることも宇宙上にあることであり、先生の胸中において宇宙即我という境地に到達されたのです。
人間は誰でも、宇宙の意識と自分の意識とは関連をもっています。しかし、くまなく神の心という宇宙の意識と自分の心は、全く同通して一つであるという頂点に達することができるのは、この地上界では釈迦、イエス、モーゼの3人だけなのです。
昭和43年(1968年)7月12日に、先生はこの心に到達され、自分が釈迦であったことを自覚されたのであります。釈迦であったことを理解されても、先生はひと言も「自分は釈迦である」ということは申されませんでした。
しかし、そうは言われなくても先生の書かれる本は、いわゆる宇宙即我にならなければ到底書けないことがわかります。特に先生は、宗教という本質はおわかりになられても、釈迦でも、イエスでも、モーゼでもこの世に出てきますと、私たちと同じ人間の姿で出ます。人間の姿で出て、自らこれを悟らなければならない使命を持っているのです。
ちょうど7月に悟りを開かれて、それから約1ヵ月経ったときに、私どもが信次先生のところへ伺った時、先生は「お坊さん、僕はね悟ったんだよ」とおっしゃられ、「それは素晴らしいことですね」と言ったようなことがあり、そして私どもは、お彼岸の頃から毎晩のように大森にある先生のお宅に通ったのです。
そして、今生での正法の第一歩の道が開かれたのです。
私どもは毎晩のようにお弁当をもって大森のお宅へ通ったのです。考えてみますと、偉大な悟りも現代の仏教が末法と化しているために、これは私たちだけが聞いているだけでは余りにも、もったいないので、私どもは信次先生のこの正法を多くの人々に広めて実践をしようではないかということになったのです。
昭和43年(1968年)は、こうして先生のお疲れも知らずに毎晩のように先生のもとへ伺って、次は土曜日だけにしようということになり、いろいろとアドバイスを受けてきたのです。しかし、どんなアドバイスを受けたのかというと、ほとんどの人は自分の身の回りのことばかりだったのです。そういうことでは正法は値打ちがないのです。
正法の価値観は、私たちが自分の心を修行する一つのフィルターという心の開示をすることであります。
ところが、みんな先生のお慈悲にすがって甘えてしまい、自分自らの心に焦点を当て、魂の修行をすることを忘れてしまい、先生の許で『自分たちは前世では十大弟子であった』とか、あるいは『イエスの十二使徒であった』とか、そういうことだけにとらわれてしまったのが間違いのもとであったのです。
そして大阪の団体の帰依があり、東京にもかなりの人間がおりましたが、このような人間の転生の過程はどこの宗派でも聞けるものではなかったのです。どこの宗教集団もただ教祖を拝ませたり、祀りあげたりしている中で、私どもは一日も早くこの自分の心を自覚せんがために、魂の修行である四諦八正道という仏教の原点を勉強させて頂いたのです。
また、当時、先生の著書として1番初めに書かれたのが『大自然の波動と生命』であり2番目が『天使の再来』です。人生の羅針盤である、『大自然の波動と生命』や『天使の再来』といった2冊は、どれも余りにも偉大な著書であり、大宇宙の摂理という私たちのもっとも知りたかった、あの世とこの世のしくみを、さまざまな形で説かれているのです。
私は四諦八正道ということは知っていましたが、それは名目だけで本当の自分の心に活用することは、まだまだ自分で求めたことはありませんでした。
そこで私は、般若心経という仏教の原典、生命の尊厳を説かれた教えを、今まで色即是空についてたくさんの解説書がありますが、どうしても、ここから翻って現代の宗教というものを書かなければ覆るものではないと考えたものですから、私から先生に直接お願いをして『原説般若心経』という御本を書いて頂いたのが、昭和46年(1971年)か47年(1972年)だったかと思います。
今生の先生の一生は、実に短かったのですが、お悟りになられてから僅か八年であの世にお還りになってしまわれたのです。このように仏教は、本当に聞いた人が理解をし、仏教をどのように律するかという心構えが固まる前に先生はお還りになってしまわれたのです。
八正道こそ自分の心を開拓するのです。皆さんも、正法を求めて何か宗教の原点であるかという問題をしっかりと掌握してもらいたいのです。自分の生活を脇において、他人の生活や現象に振り回されている、これが一番いけないことなのです。
先生は、この地上界で布教することになり、宗教法人法による一つの宗派を確立することをされました。このときに、私と何人かが反対をしました。何故反対をしたかは、宗教が、釈迦以来2500年経った今日、末法という時代になって、これを宗教法人にしますと、既存の宗教法人と一緒にされてしまうからです。先生は、後でこのことがおわかりになり、私に対して、やはり宗教法人にするのではなかったとお話しになりました。
これは、お釈迦さまが説かれた、いわゆる人間の心のあり方という神理は、宗教法人という方式をとって現在の雨後の竹の子のように出てきた宗教と一緒くたにされないようにしたいと思ったからです。
それが、昭和49年になって、信次先生が法を説かれている足もとで働いている人々が、一つの地位や派閥が欲しくなり、流されてしまったからです。それで先生はがっかりされていたのです。
私は昭和48年(1973年)に、先生から独立して自分でやってみようという気持になり、それ以来、先生との特訓のときには必ずお供をして設営をしていたのです。そして、先生から教わった山の中や場所は調和が取れていますので、そうした山の中に入って2.3年やってみたのです。しかし、自分の心に食い入るような反省はできなかったのです。
それから、先生のところに何度もお伺いしては先生とお話をしたのです。「先生の会では、皆さんが一所懸命やっているようですが」「お坊さん、ちがうんだよ」と、信次先生は言われました。
結局、自分の心に焦点を当てることは一人もやっていないのです。どの心を紐解いてみても、信次先生には全てわかるのです。〝そんな筈はないのではないか〟先生から一番先に特訓をうけた人も間違いなくやっているのではないかと思ったのですが、そうではなかったのです。
先生のパワーのもとに霊道を開いたのですが、それがあたかも自分が立派だから前世ではこうであったと思っているのです。みんな先生のパワーの傘下で自分たちが霊道を開かれたことを少しも感じていないのです。先生のパワーの傘下でなければ、転生輪廻を自覚するなんてことは到底できないことなのです。
誰もが、何々部長であるとか、本部講師であるとか、という肩書だけで、その中で蠢いていたのです。自ら自分の心に焦点を当てて、客観的な立場で自分の心にアタックすることはしていなかったのです。
先生が命がけで正法を説いたにもかかわらず、先生があの世に還られたあと、2.3人の人が自分こそは先生の後継者であるとかいうことで、めいめいが宗教法人化して先生の真似をしているのです。
教団をもつことは、あまり芳しくないことなのです。私は、今ここに先生の教えを根本に、会則も会費もないことを原則としています。誰が来ようと彼が来ようと『心のつどい』は、会則も何もないことで先生が説かれたことを土台として、私たち人間の誰もがやらねばならない正法は、人間のものであり、人類のものなのです。
『心行』は、大宇宙を土台にした私たちの心にとって全くかけがえのない教えなのです。このかけがえのない教えを私たちは勉強することができるのです。『心行』に書かれている事柄は、キリスト教の教えも、仏教の教えも、押し並べて一つになっているのです。
それは、大宇宙を土台とした釈迦、イエス、モーゼの文証、理証、現証という条件の問題です。こういう根底をもっているから、私たちは、会則もないし会費も戴かないのです。第一、会なんて無いのですから会費なんてありっこないのです。正法を自覚して取り組むのに、私は職業を持ち自分の生活を培うだけの能力をもっています。
ところが、現代の宗教団体は会費というものがあり、そのうえに教祖があぐらをかいています。
これでは正法は説けないのです。会費や会則がなくても人間であれば誰もがやらなくてはならないのが正法なのです。人間は神の子であり、神の子の自覚なのです。このことを私たちはほとんど忘れてしまっているのです。
私が田舎から出てきて、この寺の弟子になり、そして住職となって正法を説く土台にすることは、先生が不空三蔵をして言わしめたのです。だから、私がこの寺で正法を説くには、手かせ足かせになる会費会則というものは必要ないのです。
そうしたものがない状態で正法を実践しているのです。これは自分の心に焦点をあて、先生の説かれた正法を磨き合うためなのです。しかしながら先生の会は、既成教団のような体制を作り出してしまったのです。
そのため先生は大変に嘆かれ「ああ、こんなことをするのではなかった。宗教法人は作らなければよかった。お坊さんの言ったことは本当に間違いなかったな」と言われました。当時の先生の会は、理事者がいて、多数決で決めても理事長があいまいで、今日決めたことが次の理事会で全く別のことに変わってしまう。これはつまり、自分たちのものにしてしまいたいという結果が出ているのです。先生はこのことについては何も言われませんでした。
信次先生の正法は、バイブルのあらゆるもの、あるいは仏教の八万四千の経文のすべてが網羅されたところの骨子である、いわゆる『心』が原点なのです。その骨子である『心行』は、短い文章ですが、この世とあの世の仕組み、そして人間の生命の永遠性、大宇宙の生命と人間とのかかわり合いが説かれているのです。これは今までどこの宗派でも説けなかったものです。これも今までの長い年月の間に末法化してしまったものです。
このことは、坊主の学校でも正法が500年、像法が1000年、末法が1000年、合わせて2500年になることを教わりました。そして、四諦八正道が仏教の修行の中核であることが私にもわかってきたのです。一方、先生の会の人たちの心は、先生のご意志を十分に体得できなかったのです。
私は、幸いなるかな先生に「あなたはとにかく既成経典の中から私の理法を説いていくのですよ」と言われたのです。先生にはわかっていたのだと思いますが、私はなるべく自分で反省をしていましたところ、先生は、一人でやるのもいいけれどと危ぶまれたものですから、特訓のときだけ先生と一緒にすることにしました。そして、自分で反省をして本当の正法を確立しなければならないと決心しました。先生の会は信次先生が晩年の、昭和46年(1971年)から51年(1976年)までは他力化してしまいました。
他力とは、先生を頼りにすることであり、カリスマ的な条件になってしまい、それをある人が受け継いだことになっているのです。こうして、先生が命がけで説いた正法がおかしくなってしまったのです。
このようにしてお話をしていても、私の話すことは先生の教えからは一歩たりとも出ていません。先生の会の本部には先生の教えを継承された講師の方たちが四人か五人いますが、その人たちは、先生の教えは古くなった、今度は新しい言葉で説くのだといっています。
そして、先生の『心行』を開放いたしません。これは意地悪をしているのか、正法を独占しているのかわかりません。少なくとも私たちは正法を独占してはなりません。現在、先生の正法を継承されたという人たちがどうも調子がおかしいのです。
先生の教えは、どこまで行ってもその対象は自分の生活と自分の心の中にあるのです。これが先生の説かれた神理正法なのです。皆さんも、少なくとも他人に頼るという自分の心のエゴや執着を、自分自らが発見して、その心を修正していくこと、これが自力なのです。
自力とはそういうものなのです。そうすれば私たちの心の曇りを取ったときに神の光が入ってくるのです。この神の光が他力なのです。
この他力について富山や高山(北陸地方や飛騨地方)の方たちは親鸞の教えを受けていますが、親鸞の教えは戦乱のもっとも厳しい社会情勢の中にあって、いわゆる略奪や戦争という百鬼夜行の時代ですから、こうした時代に正法を説いても、皆これを理解する能力はありません。
こうしたときに説かれたままに現在でも『南無阿弥陀佛』を言っています。しかし、親鸞は自分にもっとも厳しい懺悔をしております。やはり懺悔ということは心の曇りを取ることです。
日本の宗教宗派というものは、それぞれ一つの理論体系をもって成り立っていますが、いわゆる実践の理論体系を作ったのは伝教大師の天台宗だけなのです。あとはみな拝んだりする他力になってしまったのです。
他力とは、今までの悩みや苦しみ、あるいは病気から逃れるための宗教になっていることです。
自らが自分の心に、これがエゴであるという受け取り方ができるかというと、これが全く無いのです。
皆さんが病気をする、悩み、苦しみ、あるいは災難という問題を通して自分の心の原点を知って、そして自分の心のエゴや執着に対する一つの警告であることを知ってもらいたいのですから、自分の身にそういう問題がふりかかってきたら先ず自分の心を丸くすることです。
なぜ丸くするかというと、私たちが心の曇りである妬み、恨み、愚痴、怒り、葛藤、闘争、こういう心の根っこに原因があるからです。
私たちには、過去世という前世のカルマと、現世での生れながらにしての環境や境遇の中で、自分たちが作り出してきた自分の心のカルマがあります。私たちは、この心に焦点をあてて、自分の心の欠点を取り除いて初めて、正法の本質が自分のものになるのです。
皆さんは、これから正法を自分のものにして、あの世に還るまでに正法を多くの人々に伝えていかなければならないという、少なくとも、それが今、ここにこうして来ている皆さんの務めなのです。ですから、ただ聞くだけが能ではありません。
自分の心を押し開き、その心の中に刻み込んでいる自分の欠点やエゴを自分自身が逐一チェックして、これを取り去っていくことが正法なのです。
みんな口先だけで正法をやっている、やっているといいますが、本質的に私たちは自分の心にアタックして、イエスの教えである『右の頬を打たれたら左の頬も出せ、しかも、自分を殴った相手を愛せよ』という心の原点に達すること、これがこれからの皆さんの仕事なのです。『わが敵を愛せよ』とは、自分がそうした現象に耐えたことで相手に対して感謝しなければならないのです。
どんなにひどい仕打ちを受けても、これを当然のこととして感謝するという、これが正法の価値観なのです。正法はこうした貴重な価値があるのです。皆さんが本当にこうした条件のもとで自分の魂を磨くことで、ここにおいでになっていることは、まことに結構なこと(素晴らしいこと)なのです。
人間というのは、どうしても目には目を、歯には歯を、殴られたら殴り返すことになってしまい、それでは正法に身を投じたことになりません。
正法は、静かに反省をして自分の心を覗くことにより、客観的な第三者の立場で、自分が今まで行ってきたこと、思ったことを肯定できる論理により、心の豊かさが得られるものであり、こうして、あらゆるものに耐えて、初めて正法は生まれ出るものなのです。自分の心の中にあるもの、これが本当の正法なのです。
現在の世の中を末法というのは、何か事があると、すぐに神様、仏様、あるいは教祖様、助けて下さいというのが現在の宗教なのです。
正法は、あくまでも自分の心の中に焦点をあて、自分の心の中に調和や安らぎがあるか、あるいは執着や、妬み、恨み、愚痴を言う、腹を立てることが、いつ、どこで、どういう条件の中から起こってくるかを、自分の心を静かに眺め、そういうことがあったら一つ一つチェックをして、その境涯から抜け出さなければなりません。
いわんや私たちは、人々に恨みを持ったり、妬みを持ったりした心があっては絶対にならないのです。皆さんが、この心がけを自分の心に確立していくと、だんだん正法のメリットもわかり、もちろん正法の難しさもわかるでしょう。
難しいから稀少価値があるのです。皆さんが正法を実践するからには、どこまでも日常生活の中で自分の心を切り離しては考えられないことです。
今までは、人に法を説いてもらおう、指示してもらおう、アドバイスしてもらおうということで生きていますが、先ず私たちが正法の条件に則り生活しますと、そういうことは一切しないで自分というものを見い出していけます。これが本当のいわゆる正法の実践であります。
どうか皆さんは、信次先生が生命を賭して説かれた正法を、先ず自分の心に実践して頂きたいと思います。