村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
民族
慈悲とは神の心です。神の心は不文律であります。
心は、許す心、愛する心、協調する心、調和する心、こういう心が本来の慈悲の心なのです。
愛とは、人間は、お互いに大宇宙を支配する意識の中で、協調協力が必要になりますから、神の恵みを分かち合う、慈悲とは、神の恵みです。
愛とは、これを分かち合って、宇宙上が成りたち、この世とあの世の仕組みもできているのです。
私たちの意識を調和へ赴かせるのです。
調和された条件の中では、人間は民族ということはないのです。これは魂を修行するための一つの方便なのです。黒、白、黄色という肉体の条件もです。
日本でも人種的な問題が台頭していますが、自ら自分の心を卑下する考え方を持ってはいけないのです。
白人は、人間の最も次元の高い人びとの集団だと勘違いをしています。
私たちは体験の方便として、転生の過程で、白人の生活にて、獣肉を食べて生活をしてきました。
また、穀物によって今まで生活をしてきました。こういう様な体験をしていくことが地上界の条件なのです。