村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
神の御技(みわざ)
日本がかつて貧乏国であった昭和二十年までの条件、二十年から四十年までの条件、四十年から六十年までの条件があります。
二十年までは神の国だということを言われました。しかし、正しい心にあって初めて神の援助を仰げるのであって、そうでない限り神風など吹くものではないのです。
元軍十万の来襲の時に神風が吹いたことは、元軍の邪な心を叩いたのです。あれは神風なのです。
しかし大東亜戦争で、神風隊といって鉢巻をしていましたけど、正しい心のあり方を私たちが顕示しない限り神様はそんなところに協力しません。
今度は、昭和四十年からは、私たちが植民地がなくても、努力をすれば良い条件になるのだということを教えられたのです。
それを現在の、のぼせ上がっている人たちは、自衛隊を海外に派遣して真価を発揮しろと言っているのです。
広島や長崎の結末が、再び私たちに与えられるとしたならばどうなるのでしょう。自分の心と大宇宙の心との調和の状態においては、様々に体験をさせられるのです。
日本の人間に対して警告があったのです。私たちは、この世という体験の世界があるのです。色々体験しますが、原子爆弾は使ってはいけないという警告が出ているのですから。
武力により人間同士が、意志の疎通を省みないで戦争をしてはならないのです。
三宅島は綱引きの激しい所だったのです。綱引きをしている間に、軍事基地を入れることができなかったのです。
今度は、手を代え品を代えして、大島の所の方へ目をつけてきました。
アメリカの艦船が、横須賀に入って来ますと様々な支障があるので、直接、岸壁につけるような、大島の開放を押し付けに、アメリカが日本にやってきた途端に噴火を始めたのです。
大島を噴火させて、ここは戦争の基地にしてはならないという、あの世の思し召しだったのです。
その思し召しから今度は、アメリカは、波浮(はぶ)の港を、艦船の寄港地に提供しろということを言っていました。
今度は、日本の政府では政治的な見解からできないものですから、東京都庁の方へ内閣は示唆したのです。
ところが、波浮の港の入口の海底に、すでに火山ができていたのです。これは人間がやれる技ではないのです。
人間に警告を与えるための技なのです。
こういうことを世の中は知らないのです。「そんなアホなことあるかいな」こういうように考えているかもしれませんが、やはり、もう戦争はしてならないのです。
大東亜戦争で惨めな結果を得たのです。
再び、同じ轍(わだち)を踏むことにならないように、神から引導を渡されたのです。引導を渡されて、波浮の港が艦船の寄港地にはならなかったのです。
北方領土の問題も、「返せ返せ、領土は俺たちのもんだ」と言っています。
その体験を通して、人類は、白だ、黒だ、黄色だということではなくて、一つの意識体であるという自覚に至ってくれば領土問題もなくなってくるのです。