ロータリーエンジンの生みの親と呼ばれる人です。
エンジンハウジングの「チャタマーク」というキズの問題を解決して世界で唯一量産に成功しました。NHK「プロジェクトX」でドラマにもなっています。
昨年12月20日に逝去いたしましたマツダ元社長 山本 健一の「お別れの会」を、3月5日に執り行いますことをお知らせいたします。
不可能と言われたロータリーエンジンの量産を実現した「飽くなき挑戦」を次代に受け継ぐと共に、「お別れの会」にて故人を偲びたいと思います。 pic.twitter.com/JjdCk3s9kO— マツダ 広報部 (@Mazda_PR) 2018年1月26日
山本健一(ロータリーエンジン開発者)語録
「いつかはみな死ぬ 今は苦しくても死ぬときに誰も出来ないことをやったと思えたらそれでいいじゃないか」
「部下がついてくるかどうかはリーダーが苦しんだ量に比例する」
「創造的に仕事をしなさい 挑戦的に仕事をしなさい そしてネバーギブアップ」
引用:名言格言 山本健一語録
2017年はREエンジン生誕50周年
マツダが量産に成功したロータリーエンジン(RE)が世に出てから、2017年5月30日で50年となりました。
ロータリー生誕 50 周年 – Zoom-Zoom デジタルマガジン 2017年 春号
修業先の先輩がサバンナで、知り合いがRX–7に乗っていました。今でもモーターの様な強烈な加速が思い出です。その反面、当時はブレーキが非力でした。
ロータリーエンジンとは
国内で初めてマスキー法をクリアしたエンジンですが、しかし、オイルショック時代に燃費問題で段々不評になってしまいました。
マスキー法をめぐって――石油ショックと公害(1970年) | トヨタ自動車のクルマ情報サイト‐GAZOO
どんな燃料でも走るので、当時は軽油か灯油を混ぜて走っている人も居ました。本当の話です。
ロータリーエンジン開発秘話
【MAZDA】第Ⅰ章:未踏の世界に挑んだロータリーエンジン四十七士たち|ロータリーエンジン開発物語
開発は野武士という感じです。なにクソと思う気持ちが素晴らしい製品を世の中に出してくれます。
この気骨が今のクリーンディーゼルを作ったと思います
マツダは当時の親会社のフォード社にハイブリッドを開発するのを止められ、やむなく他の形式を模索して、圧縮比という誰も気づかなかった値をいじって素晴らしいエンジンを作りました。
ディーゼルの圧縮比を20から14?に下げるなんて誰も思わないです。反対にガソリンを10から14?に上げるなんて、あんたはロータスコスワースエンジンか?とツッコミを入れます(^_^)
【MAZDA】ゼロからスタートしたディーゼルエンジン開発 -スカイアクティブ ディーつくり手の想い|Be a driver.
オート三輪もマツダ製が多かった
カーブの時に車体が傾くので凄く怖かった思い出があります。
ロータリーエンジン復活を
再び、ロータリーエンジンの車を発売してくれるのを期待しています。
マツダの世界市場は3%だそうですが、ますます魅力のある車を作って欲しいです。
表紙引用元:ロータリー生誕50周年-Zoom-Zoomデジタルマガジン2017年春号より