結果を出す手技療法のパイオニア

村上宥快和尚さん説法「初詣はつもうで

村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。

初詣(はつもうで)

大晦日の夜から元日の朝にかけて、神社仏閣にお参りする二年詣が盛んです。そして、正月三が日にどこどこの神社に何十万人、どこどこのお寺には何十万人といった新聞記事などを眼にいたします。

二年まいりとは – コトバンク

しかしながら、よく考えてみて下さい。皆さんは、お釈迦さまが説かれた真の仏法に触れるご縁をいただき、正法とは、自分自身の心に問うて反省することであることを理解されているものと思います。

神社や仏閣へお参りに行って拝んだりすることで、決して心の安らぎや調和が得られるものではありません。

初詣といってお参りされる方たちの姿を見ていますと、何がしかのお賽銭をあげて、家内安全、商売繁盛、招福除厄しょうふくじょやくなどとお願いごとをしています。

家内安全はお祈りとしてはまあまあですが、どなたも自分の欲望を満たすための願い事をしています。

百円、何百円のお賽銭でずいぶん欲張ったことを、たくさんお願いをしています。神様や仏様がこれを見たら、さぞかし苦笑いをされているのではないかと思います。

昔、一休禅師が「門松は、冥途めいどの旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」と詠まれて、正月に浮かれる人たちをいましめられた有名なお話しがあるように、大晦日も、元日も、無限の時の流れの中にある、一日一日なのです。

一休宗純とは – コトバンク

門松は冥土の旅の一里塚とは – コトバンク

静かに、自分が今までに思ったこと、言ったこと、行ったことなどを反省して、本当の煩悩は自分の心の中にある曇りであり、これを取り去るには八正道にもとづく反省しかないことを自覚することです。

普段から、夫婦仲良く、親子兄弟が相和して生活していれば、神様にお願いすることはないのです。神様はお願いするものではなく、正しい生き方をお誓いするものなのです。

こうしたことを自覚することが、本当の年末年始の過ごし方であると思います。

  • -
    コピー

この記事を書いた人

アバター画像

村坂 克之

小又接骨院・鍼灸院の院長です。鍼師、灸師、柔道整復師の国家資格にて治療を行っています。屋号の小又(こまた)は、先祖の小谷屋亦治郎(亦=又)に由来します。親指シフトユーザー。
詳しくは院長略歴をご覧下さい。