村上宥快和尚さん【1918年(大正7年)10月8日〜1991年(平成3年)3月12日・享年72歳】のお話をまとめました。
全ては借り物
この世に出て、土地というものは全部神様の体なのです。私たち肉体も、全て神の体を借りて魂修行に出てきているのです。
僧侶は席次(席順)というものを非常に重んじます。誰が上だ、大僧正だ、律師だ、勝手に決めて、俺が偉いんだ、偉くないだとやっています。
私は時々、冗談にいうことがあります。上下だの考えているうちはまだ本当の心の持ち主ではありません。どこへ座っても地球の上ではないかというのです。
地球上は、神様が私たちに与えてくれた修行の場所です。
人間同士が、それぞれ自分と違う意識の条件ですが、見極めると、他人といえども皆、神の心なのです。
神の心であることが、精神という私たちの意識なのです。ですから私たちは皆、兄弟であります。
「万生魂の修行所なり」とありますが、これは人間ばかりではありません。草や木も全て進化の道を辿り地上界で繁茂しているのです。
私たちは神の子である以上、自分自身から目覚めなければならないことを知って下さい。
俺の財産だの、お前の財産、そういうことを思っている人は地獄の住人になります。天上界の住人にはなれません。
この世で、どんなに財産を持っても使うことができなければ、正しい生き方とはいえません。
この世で金を残すという言葉がありますが、残すことはよくないのです。大抵残したものは、親、兄弟のトラブルの元になります。しかし人間は子供のために残したがるのです。
これは肉体の存続だけの物事の考え方なのです。
この世に出てきたのは魂を修行するために肉体の存続があるように、肉体を通して魂の修行をしていくことなのです。