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北方領土の日、映画「樺太1945年夏 氷雪の門」を毎年思い出します

2月7日は、北方領土の日です。

毎年思います。色々な事情があっても、借りた物を返すという単純な帰結にならないのか不思議です。

ずっと解決しないので、北方領土問題の相手はロシアではなくてソ連じゃないかと感じます。

資料

国関連

真岡郵便電信局事件

真岡郵便電信局事件(まおかゆうびんでんしんきょくじけん)とは、太平洋戦争末期の樺太の戦いで、真岡郵便局の電話交換手が集団自決した事件である。
当時日本領だった樺太では、ソ連軍と日本軍の戦闘が、1945年8月15日の玉音放送後も続いていた。真岡郵便局の電話交換手(当時の郵便局では電信電話も管轄していた)は、疎開(引き揚げ)をせずに業務中だった。
8月20日に真岡にソ連軍が上陸すると、勤務中の女性電話交換手12名のうち10名が局内で自決を図り、9名が死亡した。真岡郵便局事件、また北のひめゆり(事件)とも呼ばれる。
自決した電話交換手以外に残留していた局員や、当日勤務に就いていなかった職員からも、ソ連兵による爆殺、射殺による死者が出ており、真岡局の殉職者は19人にのぼる。

引用:真岡郵便電信局事件 – Wikipedia

映画 樺太1945年夏 氷雪の門

『樺太1945年夏 氷雪の門』(からふとせんきゅうひゃくよんじゅうごねんなつ ひょうせつのもん)は、1974年公開の日本映画。株式会社JMPが製作。
1945年(昭和20年)8月15日の玉音放送後も継続された、ソ連軍の樺太(現サハリン)侵攻がもたらした、真岡郵便電信局の女性電話交換手9人の最期(真岡郵便電信局事件)を描いている。

引用:樺太1945年夏 氷雪の門 – Wikipedia

映画「樺太1945年夏 氷雪の門」は、現在DVDでしか手に入りません。

氷雪の門 – Google 検索

戦争を賛美する気持ちはサラサラありません。

外地から撤退するときの実情(レイテ島周辺や満州から)を患者さんからも聞いて、今の日本に生まれて良かったと思います。

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この記事を書いた人

村坂 克之

小又接骨院院長です。屋号の小又(こまた)は、先祖の小谷屋亦治郎(亦=又)に由来します。
詳しくは院長略歴をご覧下さい。