結果を出す手技療法のパイオニア

篠原無然(しのはらむぜん)という社会教育者・飛騨の人々は既に大正デモクラシーを学んでいました

中部大学客員教授の森瀬一幸先生から伺った話です。(元高山市教育長・元岐阜女子大学特別客員教授)

飛騨教育史学研究会

森瀬先生は現在、『飛騨教育史学研究会』を主催されています。篠原無然の研究に造詣が深く、調査や各地で公演をされています。

また、教師であった現役時代の貴重な体験を、現役世代へ伝えられていて、師事される先生も大変多いです。

篠原憮然の活躍

篠原憮然の活躍は、飛騨地方各地で公演をして社会教育の普及を行いました。

乗鞍岳登山道も地元の青年達と整備しました。

短命であった為に活躍した期間が短く、時代と共に風化しつつあります。

篠原無然
篠原無然 – Wikipedia

1889-1924 大正時代の社会事業家。 明治22年3月7日生まれ。
早大を中退し,大正3年より岐阜県吉城郡上宝村にすむ。
飛騨(ひだ)地方を中心に社会教育に尽力。名所史跡の設定,登山道の改修などもおこなう。
大正13年11月14日雪の安房(あぼう)峠で遭難死した。
36歳。兵庫県出身。本名は禄次。著作に「青年会の組織と事業」。

引用:篠原無然(しのはら むぜん)とは – コトバンク

大正デモクラシー(民主主義の黎明期)

大正時代に飛騨地方の人々が、民主主義を学んでいたとは大変驚きました。

当時、運動を快く思わない一部の素封家からの反発もあったようですが、活動を続けたそうです。

大正デモクラシー

大正期に興った自由主義・民主主義的な風潮,およびその運動。
世界的なデモクラシーの発展とロシア革命を背景に,護憲運動や普通選挙運動をはじめとして,労働運動・社会主義運動などが高揚した。
思想的には吉野作造の民本主義,美濃部達吉の天皇機関説などの民主主義・自由主義的傾向のほか社会主義的思想もまじえ,多岐にわたっている。

引用:大正デモクラシー(たいしょうデモクラシー)とは – コトバンク

篠原憮然に関する資料館

岐阜県高山市奥飛騨温泉郷
平湯民俗館 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/平湯民俗館
平湯民俗館・平湯の湯 | 露天風呂・秘湯は奥飛騨温泉郷 | 奥飛騨温泉郷観光協会

兵庫県美方郡新温泉町(生誕の地)
浜坂先人記念館 新温泉町|篠原無然

篠原無然の研究第一人者、森瀬一幸先生

篠原無然(教育者)の研究第一人者、森瀬一幸先生のご活躍について | 村坂克之@小又接骨院のブログ 飛騨・高山・下呂/a>

photo by 篠原無然 – Wikipedia

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村坂 克之

小又接骨院・鍼灸院の院長です。鍼師、灸師、柔道整復師の国家資格にて治療を行っています。屋号の小又(こまた)は、先祖の小谷屋亦治郎(亦=又)に由来します。親指シフトユーザー。
詳しくは院長略歴をご覧下さい。