脊椎矯正や鍼灸、さまざまな手技療法には、星の数ほどの流派があります。
もともとは一つの流派から始まったものでも、ある日突然「○○式」という名前が付けば、それが新たな流派として広まっていくことがあります。
宗教にも似たところがあり、開祖が亡くなると弟子たちの考え方の違いから分派することも珍しくありません。
新しい流派が生まれては消え、消えてはまた生まれる。その繰り返しです。
私が大切にしているのは、その流派が生まれたときの考え方や、創始者が何を伝えようとしていたのかを知ることです。
その意味で、古い書籍は貴重な足跡です。
できれば初版本を手に入れたいと思っています。改訂を重ねた書籍よりも、初版には著者が最初に伝えたかった思いや、当時の考え方が色濃く残っていることがあるからです。
著者も2版、3版となると色気が出てきて書いている内容が変わることが多く、知りたかった事が削除されていることも多々あります。
しかし、どれほど素晴らしい流派や治療法であっても、それを学ぶ先生自身の考え方と合致しなければ、心から納得することは難しいものです。
さらに、手技療法には理論だけでは説明できない部分があります。
同じ技術を学んでも、施術する先生の手によって感触も結果も違ってきます。
手の大きさ、力の加減、触れ方、感覚など、施術者と技術との相性もあるのでしょう。
これは学ぶ側にもいえることだと思います。
以前、ある治療家の交流会に数回参加したことがあります。
ところが、参加するたびに経験したことのないような強い疲労感に襲われるのです。
最初は気のせいかと思いましたが、疲労がなかなか抜けず、普段の生活リズムまで崩れてしまいました。
長年、さまざまな勉強会や交流会に参加してきましたが、このような経験は初めてで、正直なところ戸惑いました。
結局、自分には合わないと判断して退会しました。
交流会そのものが悪いわけではありません。参加されている先生方にとっては、有意義な場だったのだと思います。
ただ、私には合わなかった。それだけのことです。
長年臨床を続けていると、優れた治療法だからといって、必ずしも自分に合うとは限らないことを実感します。
大切なのは流派の名前や権威ではなく、その考え方を理解し、自分の手で確かめ、実際の患者さんの治療に生かせるかどうかです。
流派に自分を合わせるのではなく、自分の臨床に本当に必要なものを見極める。
これからも、その姿勢を大切にしていきたいと思っています。
